昼前から「丸山豊記念現代詩賞」の選考会。発表はだいぶ先ですが。(哲




2012ソスN2ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 1322012

 佐保姫のときどき白き平手打

                           嵯峨根鈴子

保姫(さほひめ)は、秋の竜田姫と対になる春のシンボル。春の野山の造化をつかさどる女神である。いつもおだやかで上品に振る舞っている佐保姫が、何にそんなに怒ったのか、ときに突然平手打ちをくわせるというのだから、びっくりしてしまう。これはつまり、おだやかなはずの春という季節が、ときどき思いがけない悪天候に見舞われるということだ。「白き平手打」というのだから雪、それも激しい雪を暗示しているのだろう。今年の佐保姫はまだ登場したばかりだが、ご乱心にもほどがあると言いたいくらいに、最初から平手打ちの連続である。このぶんでは満開の桜にも雪をもたらしかねない勢いだ。十年か二十年に一度くらいは桜に雪の現象は起きるけれど、佐保姫さま、今年はこのあたりでお怒りを鎮めていただいて、どうかおだやかで温暖な春の日々をお恵みくださいますように。『ファウルボール』(2011)所収。(清水哲男)


February 1222012

 これ以上進まぬ二人蜜柑むく

                           関根優光

滞している二人がいて、二人しかいなくて、言葉も尽きて、目も合わせられず、手もちぶさたにやおら蜜柑を手にとり、男は少しもてあそんでからむき、女はちらりと男を見てから蜜柑をとりむく。もし、この句がこの情景を詠んでいるならば、男に脈がある。がんばれ男。停滞している二人がいて、二人しかいなくて、言葉も尽きて、目も合わせられず、手もちぶさたにやおら蜜柑を手にとり、女は少しもてあそんでからむき、男はちらりと女を見てから蜜柑をとりむく。もし、この句が、この情景を詠んでいるならば、女に脈がある。がんばれ女。けれども、二人、脈絡もなく蜜柑をむいているならば、互いに脈はないのかもしれない。作者関根優光さんは、昨年喜寿を迎えられた俳友で、成蹊高校時代に は同校教諭・中村草田男の薫陶(くんとう)を受けた。掲句は、今年1月21日、「蛮愚句会」で提出された作。よって、「蜜柑」は冬の季語。ご本人云わく、最初は炬燵に執着してしまって、一週間、うんうんうなって出来た句、とのこと。「みかん」という語感はかわいらしく、「蜜柑」という漢語は、ひそやかにあまい。蜜柑は二人を結びつけられるだろうか。二人は蜜柑に導かれることがあるだろうか。私の師匠、赤塚不二夫なら、「それは未完なのだ!」とおっしゃるでしょう。(小笠原高志)


February 1122012

 紅梅のほとりに紅の漂へり

                           伊藤柏翠

梅はちらほら、紅梅はこれからというところだろうか。きりりと清しい一輪の白梅の写真が知人から送られてきたのを見て、ああ梅、と思いながら、この時期はあれこれ落ち着かなく近所の梅園にもまだ行っていない。薄紅梅の仄かな夕暮色もいいけれど、濡れたような濃紅梅も愛らしい。二月の青空と濃紅梅、千代紙を思い出させる彩りは鮮やかではあるけれど、くっきりとした白梅と対照的に零れて滲んでいるように見える。ほとり、の一語が、この紅梅の風情を思わせる。あるいは夜、白梅に比べ闇に埋没して目をこらしてもわからない紅梅のその色が、密かに闇にとけ出しているのを感じているのかもしれない。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)




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