今日は猛烈に忙しい。でも、これを過ぎると、ガクンと楽になる。(哲




2012ソスN2ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0922012

 ヒヤシンスしあわせがどうしても要る

                           福田若之

ヤシンスは早春を代表する花。どこか冷たい感じがするのは名前の語感と色と水栽培で育てた経験によるのだろうか。忙しい毎日に心追われる身に「しあわせがどうしても要る」というひたむきなフレーズが痛く感じられる。ひらがなで書かれた「しあわせ」の淡さと対照的に「どうしても」という頑是無い物言いが、格言的フレーズに陥る危険からこの句を掬っている。ヒヤシンスはいくつかある花の候補から恣意的に選ばれた印象だが、下五に置くと語調良く流れすぎるが、上五にあると紫色の小花を集めて凛と直立するヒヤシンスがまずイメージとして浮かび、あとの呟きが自然に滑りだしてゆく。「かもめの両翼あたたかく空に在る」「甲板の風がくすぐったい春だ」みずみずしい感覚が素敵な91年生まれの俳人である。『俳コレ』(2011)所載。(三宅やよい)


February 0822012

 かじかむや寄る七星はひくくして

                           棟方志功

い夜の北斗七星が、それぞれ特別に身を寄せ合っているというわけではない。けれども寒さが厳しいから、あたかも身を寄せあっているように感じられるのであろう。しかも空気が澄んでいるから、星がことさら大きく地上にずり落ちそうに、迫っているように低く感じられるというのである。実際、七星は春夏には北斗星よりもずっと高い位置にあるが、秋冬には地平線まで低くずり落ちて、見えにくい位置になっている。板木(志功は「版木」とは呼ばなかった)に、全身這うように顔をこすりつけるようにして描きあげ、彫りあげてゆく志功独特の制作の姿が、この句にかぶさり重なっているようにさえ感じられる。ノミを握る手はかじかんでいるから、いっそうダイナミックに大胆に彫りあげているものと思われる。志功は俳句を二十代で始めたが、原石鼎や石田波郷、永田耕衣たちの作品に触発された美術作品を発表していた。とりわけ前田普羅との付き合いが深かったと言われる。「渦置いて沈む鰻や大月夜」という句などは、志功の絵そのものの力強さを感じさせる。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


February 0722012

 探梅の水に姿を盗られけり

                           水内慶太

のない時代、人は水に姿を映していた。それが確かに自分であるという確信は、ずいぶん心もとないものだったことだろう。しかし、姿を映すことは不吉でもあった。後年の写真がそうであったように、真実を映すとき、魂がそちらに移ってしまうと思われていたからだ。春の兆しを探す足元に水があり、なにげなく通り過ぎた拍子にわが身を見た。あまりにありありと映る水面に、ふと姿を盗まれたと思えたのだろう。青過ぎる空を映しているばかりの水は、そこを通過する何人もの姿を飲み込んできたに違いない。探梅という、ゆかしく訪ねる心が、作者を一層感じやすくしている。「月の匣」(2011年3月号)所載。(土肥あき子)




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