インフルエンザ流行中。この鬼は「外」にいられると困るなあ。(哲




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February 0322012

 乱反射するや初刷りに核の海

                           古沢太穂

982年の作。元旦の新聞にきらきら光る海の写真が掲載されており、それが「核の海」であると感じている。核の海は核実験の海あるいは崩壊ソ連によって投棄されたとする核弾頭の眠る海さらに広義に原子核つながりでいえば海辺に立つ原発もイメージされる。文学はときに未来を予言する。「今」を読み取り、つづいて来る「未来」を予言するのは作者の思い。読み取るのは読者の感性。そこを避けたところに「普遍性」を見出そうとするのは両者の共同逃避ではないか『捲かるる鴎』(1983)所収。(今井 聖)


February 0222012

 不景気が普通になりて冬木の芽

                           大部哲也

ブルの頃は都会から遥か離れたところに住んでいたのでお祭り騒ぎのような景気の良さとは無縁だった。それでも仕事が無い、物が売れないといった不平不満を周囲で聞いたことはなかったし、今日より明日、頑張れば給料は増えるといった楽観論が巷にあふれていた。それから二〇数年、不良債権、株価低迷、リーマンショック、欧米危機と、明日にも経済が破綻するかのような脅しをたえず受け続けている気がする。物は溢れているのにこの不安感の正体は何なのだろう。掲句では連続する「ふ」の頭韻が不景気な世の中冬木の芽をうまく照応させている。気象協会の本によると、一日の平均気温が五度から六度を上回ると冬眠をしていた落葉樹の枝先へ水分や養分が運ばれ冬芽が膨らみ始めるという。暦のうえでは立春だけど、世間はずいぶんと長い冬だ。春は来るのだろうか。『遠雷』(2011)所収。(三宅やよい)


February 0122012

 夜の雪わらじもぬがで子を思ふ

                           勝 海舟

の降る夜に外出から海舟は帰って来た。離れて暮らす吾子のことをふと思い出し、「しばらく会っていないが、この雪のなかでどうしているだろう?」と、わらじを脱いであがるのも忘れて、そのまま玄関で、しばし吾子のことをあれこれ気にかけている。子を思う親の心である。あるいは、もしかすると吾子のところから今帰って来たばかりで、何かしらフッと気にかかっている、ということなのかもしれない。「わらじもぬがで」だから、よほど強く気にかかることがあったものと思われる。雪降る夜の静けさが、吾子のことをいつになく思い出させてしまったのだろう。親は幾つになっても、何につけ子のことを思うものである。海舟は「政治家や医者とちがって、俳諧は金を捨てて楽しむからいい」と語ったことがあると言われている。俳諧とは本来そういうものだったはずであろう。他に「梅盛り枝は横たて十文字」がある。高橋康雄『風雅のひとびと』(1999)所載。(八木忠栄)




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