今日の東京地方は日が射すが、雪も降るというややこしい予報。(哲




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January 2312012

 巻いてもらふ長マフラーの軸となり

                           藤田直子

マフラーで思い出すのは、イギリス映画『マダムと泥棒』(1955)に出てくるアレック・ギネスだ。彼は自称音楽家のふれこみで人の良い老未亡人宅に仲間と下宿するのだが、実は強盗団の首魁である。いつもきちんとスーツを着込み、しかし何故か首に一巻きしただけのマフラーは膝下くらいまでの長さがあり、それをいつもだらりと下げたまま行動している。男だから、まあこんな巻き方でもよいのかもしれないが、女性となるとそうもいくまい。巻くときに鏡があればまだしも、ないときに巻くのはかなり難しいだろう。胸の辺りで上手にまとめようとしても、両端を均一の長さに結ぶのには苦労しそうだ。句では、そんな長マフラーを誰かに結んでもらっている。そうしてもらっているうちに、なんだか自分がマフラーの軸になったようだと言っている。これはおそらく男がネクタイを結んでもらうときの感覚と似ているのだと思う。つまり、主体は巻く側にあるので、巻かれる側はあくまでも巻きやすい姿勢を保持しなければならない。要するに、軸という物体として佇立していないといけないのである。実感から生まれた句。お洒落も大変なのです。『未来図歳時記』(2009)所載。(清水哲男)


January 2212012

 春待つや空美しき国に来て

                           佐藤紅緑

年の冬は実に寒く感じられます。出勤時には、コートのボタンを首までしっかりとめて、マフラーをし、手袋をし、さらに耳当てまでして、勢いをつけて家を出ています。昨年から単身赴任で住み始めた土地は、間違いなく横浜とは空気の硬さが違うように感じられます。本日の句。作者の名前を見れば、佐藤愛子の『血脈』という小説の中に描かれた紅緑の姿を思い出さずにはいられません。「 佐藤家の荒ぶる血」は、明らかにフツウの人よりも激しく、感受性の強さも尋常ではなかったのでしょう。しかし、句を読んでみれば思いのほか当たり前の感覚で出来ており、特段な工夫がなされているわけではありません。旅先で詠んだ句なのでしょうか。どこの国を指しているのか、明確にしていなことが、むしろ工夫と言えるのかもしれません。『日本大歳時記 冬』(講談社・1981)所載。(松下育男)


January 2112012

 頬杖の風邪かしら淋しいだけかしら

                           池田澄子

しいは、人恋しいということ。会いたいと思う人に会えない、それが淋しいのだ。悲しい、の積極性に比べて、ふと気づくと淋しいのであり、泣いたらすっきりした、とか、時間が経ったら薄まった、ということはなく、むしろ時が経つほど淋しさの度合いが深まることもあるだろう。頬杖には、ため息がついてくる。冬ならば、自分の指先の冷たさを頬に押しあてて、なんとなくぼんやり遠くを見ながら、小さくため息をつく。どこかしんみりしてしまうのは、体調がもひとつなのかな、風邪かしら。ちょっと不調な時、何気なく口にする言葉だが、だけ、はむしろ、風邪なだけ、と自分に言いきかせているようにも思える。句集『拝復』(2011)は、一句一句の文字が等間隔なので、句の長さはまちまちである。まさに手紙のように、一頁の余白から、作者の声が聞こえるような句集であった。(今井肖子)




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