三連休ですね。東京のお飾りは取れたものの明日までは正月気分。(哲




2012ソスN1ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0812012

 新年会すし屋の細き階のぼる

                           筒井昭寿

年、外資系の会社に勤めていた私にとっては、通勤した初日から年度末決算に追われて残業となり、新年気分などはすぐに吹き飛んでしまいます。それでも、「新年会」という理由が付けば、みんなで帰りに一杯やろうかという気分も出てきます。ちょっとした区切り目にはなるし、ささやかに生きて行く勇気も、酔いとともに多少はみなぎってきます。今日の句、読んでいるだけで、情景が目にまざまざと浮かんできます。小さなすし屋の、隅に様々な物が積んである狭い階段を、よろけながらのぼってゆきます。階下で用をたした後のことなのでしょうか。ふすまの向こうには、聴きなれた同僚たちの愉快な声が聞こえてきます。あたたかなざわめきの中へ、今年も再び入ってゆけることの喜びを感じながら。『角川俳句大歳時記 新年』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


January 0712012

 生きている人がたくさん初詣

                           鳴戸奈菜

の句には昨年、年が明けてほどなく出会った。とても印象深かったのだが一月も半ばになっていて、初詣の句を鑑賞するには遅すぎるだろうから来年の一句目はこの句で、と決めたことを記憶している。父が亡くなって一年と少し、たくさんの生きている人、を実感している作者に共感したのかもしれない。初詣の人混みを、生きている人がたくさん、と言う作者に、何人ものかつて生きていた大切な人の影を色濃く感じたのだった。そしてさらに一年が経ち、あらためてこの句を読むと、生きている人がたくさん、の言葉は、素直に人間の生命力なのだとも思える。読み手は常に生きている人、生き続ける俳句とはいったい、などと考えもする年頭である。『露景色』(2010)所収。(今井肖子)


January 0612012

 先生も校舎も好きだ定時制

                           中西秀斗

校生の俳句といっても実質は大人の俳人と同じレベルだ。野球で甲子園に出るような高校が仮に社会人野球のチームとやっても互角以上の試合が予想されるように、俳句だって知情意のバランスのとれたいわゆる進学校の高校生は技術にも感覚にも秀で、大人の俳人をくすぐる術だって全部こころえている。じゃあそういうこましゃくれたハイティーンに死角はないかというとこれがあるんだな。これに対抗するには自分の現実を泥臭く詠うに尽きる。憤懣やる方ない現実や欠落している自分の部分をさらけだすこと。深刻ぶらないであっけらかんと。彼らに一番欠けているところだ。この句の作者は定時制。昼間は多くが働いている人たちだ。先生が好きだは常套。演出じゃなくてたとえほんとうにそうであったとしても「詩」にはならない。凄いのは「校舎」だな。学校が好きは定番陳腐だが、「校舎」は真実そういう気持がなければ出てこない言葉。昼間商店や工場で働いている人にしか言えない。進学校の生徒には絶対詠えない。作者は学校という概念じゃなくて現実に触れえる校舎という物象が好きなんだと気づいたとき胸が熱くなる。ついこの間まで高校で俳句部を指導していたのでつい戦法のような言い方になってしまった。すみません。『17音の青春2008』所載。(今井 聖)




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