もうとっくに冬に至っていますが、暦では今日が「冬至」です。(哲




2011ソスN12ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 22122011

 夫婦とも違ふ鮟鱇鍋囲む

                           山崎十生

鱇鍋で有名な茨城も今回は震災の影響もあってもう一つ客の入りが悪いようだ。鮟鱇の吊るし切りなど冬の風物詩だろうが、濃厚な味の鍋もこの季節ならではのものだ。「夫婦とも違ふ」と切って夫婦ではない男女二人が親密に鮟鱇鍋をつつき合っていると読むのか、夫婦のそれぞれが違う場所で、別の人と「違ふ鮟鱇鍋」に向き合っているのか読み方が分かれるところだろう。後者の場合、共働き夫婦それぞれの忘年会とも考えられるが、この句集の題名『恋句』を考えると妻、夫それぞれに恋人がいて違う鮟鱇鍋を囲んでいると捉えたい。いずれにしても鮟鱇鍋と男女の関係が怪しい雰囲気を醸し出している。もう若くはなく或る程度人生の荒波をかいくぐった二人だろう、とそう思わせるのは身の部分だけでなく、皮も胆も食べつくすこの鍋の性格があるからだろうか。『恋句』(2011)所収。(三宅やよい)


December 21122011

 眼薬さしてねむる大雪になろう

                           小林銀汀

は音もなく不気味な静けさのなかで、もさもさと降り積もり、一夜にして大雪になることがある。いつもと何かしらちがう静けさのなかにいて、雪国の人にはそんな予感がする冬の夜があるのだ。「嵐の前の静けさ」ではないけれど、毎夜寝る前にさしている眼薬を、今夜もいつもと変わらずさすという何気ない日課。なぜか降る雪のごとく、冷たく澄んだ眼薬がまなこにしたたり広がって行くような錯覚も読みとれる。一段と寒さが厳しく感じられる夜なのだろう。もちろん「ねむる」で切れる。銀汀(ぎんてい)は越後長岡の写真師だが、俳句も作って井泉水の「層雲」に拠ったこともある。掲句は心酔していた山頭火調が感じられる。山頭火は昭和十一年五月から六月にかけて、一茶から良寛へとめぐる旅の途中、銀汀宅に三日間滞在したという。よく知られている山頭火の旅装束の写真は、長岡に滞在中に銀汀が撮影したものであることは、知る人ぞ知る。他に「星のある月のある雪を歩いてゐる」がある。『荒海』(1971)所収。(八木忠栄)


December 20122011

 平らかな石に渡りの数記す

                           原 和子

在では見ることはないが、鉛筆や紙がじゅうぶんに普及されるまで、石板と石筆が筆記具だった時代があった。また高松塚古墳や古代エジプトの壁画を例に出すまでもなく、滑らかな石の面になにかを残そうとするのは人間の本能でもあるようだ。掲句の石とは、渡り鳥がたどり着く川辺の、水に洗われ、日に月にさらされた石であろう。そしてそこに記された数とは、おそらく単なる数字ではないように思う。例えば五ずつ数えるのに、日本では正の字を使うが、世界では星を描いたり、四本の棒に横線など、さまざまな数え方がある。これらには、最終的な数という総数ではなく、ものごとをひとつひとつ見つめている真摯な思いがある。渡り鳥という命をかけた生きもの数を記すのに、もっともふさわしいのは、紙の上に書かれた合計ではなく、石に刻まれた一のかたまりなのだろうと強く思うのである。『琴坂』(2011)所収。(土肥あき子)




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