無宗教の我が家は喪中ではないが、年賀欠礼の挨拶状を作成。(哲




2011ソスN11ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 24112011

 寝釈迦には星の毛布が似合ひけり

                           津山 類

釈迦といえば『ビルマの竪琴』を思い出す。僧になった水島上等兵の奏でる「埴生の宿」を耳にした日本兵が、巨大な寝釈迦のまわりを探しまわるシーンだ。千葉県館山で同じような寝釈迦を見た。座っている仏様を見なれた目には寝釈迦はゆったりくつろいでいるように見える。冒頭の映画のシーンでは水島上等兵は釈迦の腹の中に隠れていたが、その寝釈迦にも背中あたりに小さな戸があり、出入りできる様だった。うっそうとした森に囲まれ横になる仏様にとって夏は涼しくていいが、冬だとさぞ寒かろう。掲句のように満天の冬星が寝釈迦の毛布だと思えば冬枯れた景色も暖かく思える。「葛城の山懐に寝釈迦かな」の 阿波野青畝の句の寝釈迦は山懐に包まれている安らぎがあるが、この句の寝釈迦は冬空に合わせてサイズが大きく伸びてゆくようである。『秘すれば花』(2009)所収。(三宅やよい)


November 23112011

 虫程の汽車行く広き枯野哉

                           森 鴎外

イドに目にくっきりと見える句である。広い枯野を前にして、走行する汽車が「虫程」とは言い得て妙。遠くから眺められる黒々とした汽車は、スピードが遅く感じられるから、のろのろと這う虫のように見えるのだろう。わかるなあ。何という虫か? 芋虫のように見えたのだろうか。まあ、ともかく「虫」でよろしい。驀進する新幹線とはちがうのだから、いずれにしろカッコいい虫ではあるまい。電車ではなく汽車の時代であるゆえに、枯野はいっそう荒涼とした広がりを見せている。荒涼とした風景であるはずなのに「虫程の汽車」の登場によって、どことなく愛すべき汽車の風景みたいに感じられてもくるし、枯野を前にした作者の気持ちもゆったりしているようだ。ほぼ同時代の漱石や露伴らは、句作が先行していて小説に移行したわけだけれど、鴎外は小説家として一本立ちしてのち俳句も作るようになった。掲句は「明治三十七年十月於大荒地」と詞書がある。同時に作った句に「ただ一つあき缶ひかる枯野哉」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


November 22112011

 やすませてもらふ切株冬あたたか

                           宮澤ゆう子

ることができる大きさの切株とは、どれほどの樹齢なのかと調べてみると、松の場合、直径10センチで樹齢50年、40センチで100年〜200年が目安という。大きな切株であればさらに樹齢を重ねており、掲句の「やすませてもらふ」に込められた擬人観もたやすく理解できる。大木であった頃に広げていた枝に羽を休める小鳥や、茂る葉陰を走り回っていたリスは消えてしまったが、今では旅人が憩う切株として姿を変えた。本格的な冬を間近に控えた明るい空気のなかで、数百年を過ごした歳月に、今腰掛けているのだという作者の背筋の伸びるような思いが伝わる。長い時間をかけ大木となった幹はあっけなく切り倒され、年輪をあらわにした切株となり果てた。とはいえ、無惨な残骸とはならず、あたたかな日を吸い込みながらまた長い時間を過ごすのだ。『碧玉』(2009)所収。(土肥あき子)




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