「立冬」ですね。暦の上では冬になりました。今年もあと50日余。(哲




2011ソスN11ソスソス8ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 08112011

 冬うらら足し算だけの練習帳

                           長谷川槙子

人になれば目を閉じても書ける数字も、小さい頃は4も8も難しかった。反対向きやら横になってしまうものやら、今となってはふざけているとしか思えない不思議な間違いを繰り返す。私は左効きの矯正のせいか、鏡文字を書いてずいぶん親を悩ませたようだ。「また反対」と言われ続けると、混乱してなにがどう反対なのかがわからなくなってくる。それでもいつのまにか数字もひらがなも間違わなくなったのは、単に正しく書くことに慣れただけのような気がする。掲句ではきっと習いたての大きな数字が不格好に並んでいるのだろう。足し算は小学校一年生の算数の始まりである。例題を見てみると「お母さんからみかんを2つもらいました。お兄さんからも3つもらいました」。そうそう、足し算はいつでももらってばかり。引かれたり、掛けたり、よもや割ることまで控えていようとは思いもよらない時代が存在していたことを、日だまりのあたたかさで思い出している。『槙』(2011)所収。(土肥あき子)


November 07112011

 サイドカーに犬マフラーをひるがへし

                           保科次ね子

日は立冬。マフラーの季節になってきた。句は実景だろう。いや、実景でないと面白くない。服を着せられた犬が散歩している姿はさして珍しくないけれど、マフラーを巻いた犬までがいるとは驚きだ。子供の歌に、雪が降ってくると「犬はよろこび庭かけまわる」とあるから、元来犬は寒さに強いと思っていたのだが、寒がりの犬もいるのだろうか。北風の中をオートバイで走ればたしかに寒いから、サイドカーに乗せた犬の飼い主としては、人間と同じように寒かろうとマフラーを巻いてやったのだろうが、作者はそういうところを見ているのではなくて、そのマフラーを翻している姿に着目している。格好いいなあと、去ってゆくサイドカーを見送っている。私はすぐに、マフラー姿のスヌーピーがバイクを飛ばして得意になっている図を連想した。ただスヌーピーとは違って、現実のこの犬は、どんな顔をしていたのだろうか。まさか得意顔ではないだろうし、むしろ迷惑そうな顔つきだったかもしれない。だとすれば、哀れでもあり可笑しくもある。あれこれ想像できて、愉快な一句だ。『しなやかに』(2011)所収。(清水哲男)


November 06112011

 芝居見る後侘びしや秋の雨

                           炭 太祇

者は江戸時代の人ですから、ここでいう芝居は歌舞伎のことなのでしょう。芝居小屋の中では、夢見るように過ぎて行った華やかな時間が、外に出た瞬間に消えてしまったわけです。気分は急に現実にもどって、冷たい風が吹いているなと思って空を見上げれば、細い雨がそれなりの密度で降っています。この句が素敵なのは、芝居と現実の境目の線がくっきりと描かれているところです。日々の生活は地味なものだし、悩み事はいつだってあります。たまには芝居にうっとりして、あれやこれやのいやなことを忘れる時間がなければ、人生、やってられないよと、自分を慰めながら雨の道を歩き出すわけです。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)




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