自転車歩道走行禁止へ。とにかく狭い歩道を高速で走るのは止めて。(哲




2011ソスN10ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 21102011

 俯きて鳴く蟋蟀のこと思ふ

                           山口誓子

わゆる俳句的情緒を諷詠する精神に欠けているのは自分を見つめる態度がおろそかになること。悲しいだのうれしいだのきれいだの、そんな形容が俳句にタブーであることの理由はよくわかる。観念的、主観的、説明的な語句が如何に饒舌で、この短詩形に不適合であるかも納得がいく。しかし、だからといって諷詠する「私」自身への内省を怠ってはいけない。それは表現の根幹に関ることだ。蟋蟀を聞いている。鳴いている蟋蟀が俯いていると思うのは自己投影だ。こういう内省があって、そこに個人も時代も映し出される。今では技術的なオチとして、あるいはちょっとしたダンディズムのように語られる風狂だの洒脱だの飄逸だのという精神も、本来は捨身の生き方から生まれたのではなかったか。「俯きて」が俳句という詩の核心だ。『激浪』(1944)所収。(今井 聖)


October 20102011

 凶作や日に六本のバスダイヤ

                           小豆澤裕子

作というと太宰治の『津軽』を思い出す。郷土史家の友人を訪ねて津軽地域の年表を広げるシーンで、三百三十年間の米の出来具合の記録が転載されており、四ページにわたって凶・中凶・大凶の文字が連なる悲惨に息をのんだ。凶作の年には草の根を食べ、間引きし、娘を売り払いながら土地を守ってきたのだろう。「凶作」という言葉には辛酸な歴史が畳みこまれている。今年の米の実りはよくとも、原発事故の影響もあり東北地方の農家は凶作の年と同じように心細い思いをしているのではないか。ところで掲句の場所はどのあたりだろう。1日にバスが6本しかなく、夕方になると早々と運行が終ってしまう、過疎化した土地での暮らしが思われる。そうした場所で凶作とはどれだけしんどいことか。作者は通りがかりの旅人の視線からそこに暮らす人々の暮らしへ思いをはせて空白の多いバスの時刻表を、停留所の背後に広がる田畑を見つめている。『右目』(2010)所収。(三宅やよい)


October 19102011

 信濃路や澄むとにごると椀ふたつ

                           中村真一郎

に季語はない。じつは真一郎がこの句を作ったのは、学生時代の夏の終りころだったという。そのころは信州追分村の油屋旅館で夏を過ごしていた。大学三年の晩夏、旅館近くに住む堀辰雄も佐々木基一もたまたま留守で、自分ひとりになってしまった。夕食の粗末な膳に向かうと、少々の料理に澄まし汁と味噌汁がならべて出された。ふたつの椀がことさら侘しく感じられ、室生犀星あてのハガキに添えた一句だという。季語はないけれど、今の時季に掲げてもおかしくはない。追分村のシーズンオフのひっそりした旅館で、うそ寒い膳を前にした学生の姿が見えてくる。椀がふたつ出るなんてことがあるのだろうか? 料理が粗末だからせめてもと、ふたつの椀が膳にならべられたということかもしれない。食べきれないほどたくさんの料理がならべたてられる昨今のそれとは、隔世の感がある。余計なことを詠まずに「澄むとにごる」とだけした中七に、俳句の妙味が感じられる。真一郎には親友福永武彦が突然女子大生と結婚した際に詠んだ句として「木枯しや星明り踏むふたり旅」がある。『俳句のたのしみ』(1996)所載。(八木忠栄)




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