必要があって色紙を書かねばならない。苦手中の苦手なのです。(哲




2011ソスN10ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 02102011

 原爆も種無し葡萄も人の智慧

                           石塚友二

の句を初めて目にした時には、人の浅智慧が冒した自然冒涜への抗議かと感じました。でも、それはどうも勘違いだったようで、句が表現しているのは、この世に人が加えた変更を、ただ並べて見せただけにすぎません。それにしても、種無し葡萄に並べられた原爆という言葉の存在は、重く感じられます。原発の問題がこれほど身近に迫ってきた今年だからでもあるのでしょう。繰り返すようですが、句は、「原爆」と「種無し葡萄」を並置しただけのもので、ことさら人の智慧を誉めているわけでも、批判しているわけでもありません。つまりはそこが、俳句の俳句たる所以なのでしょう。あるいは俳句に限らず、表現物というのは、おおむねそのようなものなのかもしれません。事実を平然と読者に見せることの恐さ。あとは余計な批評を加えない。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


October 01102011

 切れ長の眼をしてゐたり秋の蝶

                           三吉みどり

日たまたま数人で秋の蝶の話をしていた。曰く、秋の蝶って私にとっては紋黄蝶、風には乗らないで漂っている、空中で一瞬止まることがある、等々。それぞれイメージを持っているようだが羽根の色や動きなど、あくまで全体の姿で把握され、その先は凍蝶へ。そんな時掲出句を読み、蝶の顔を思い浮かべてみる。しょぼい三角たれ目の私にとって、切れ長の涼しい目元はまさに憧れだが、複眼である半球のような眼はどうも切れ長とは思えなかった。それなのに句には不思議なリアリティーを感じて、蝶の顔写真をあれこれ探すと、いかに自分が蝶の顔にいい加減なイメージを持っていたか、よくわかった、特に紋白蝶の水色の眼の、色も形も美しいこと・・・この句は、ゐたり、であるから作者は蝶の顔をしみじみ見たのかもしれない。いずれにしても、切れ長の眼が、一瞬で秋の蝶を読者の心に飛ばすのだ。『花の雨』(2011)所収。(今井肖子)


September 3092011

 月下婦長病兵をうち泣きにけり

                           秋山牧車

の句には前書がある。「戦場における看護婦の献身には感銘せり。いま一婦長大いなる荷を背負い三、四十名の病兵を引率す。『あなたはそれでも帝国軍人ですか』と叫びて」。前書は具体的だが、この句だけでも意は尽くしている。看護婦が兵を「うち」、泣く。このリアルが胸を打つ。大本営から最前線に派遣された職業軍人としての述懐である。戦後、戦争責任追及の嵐が吹き、戦中は反戦の立場であったと証しするか否かが文学者としての決定的な踏絵となった。俳人も例外ではない。戦後になって戦中に作ったという反戦の句を発表する者、戦中に作った軍人への追悼句や日本軍への応援句を句集から削除する者。負けるのはわかっていたという者、終戦の詔勅を聞いてホッとしたという者、これらはみな処世の策とみることも出来よう。勝てないまでも負けないで欲しいと願ったと振り返った俳人を知っているが、これがぎりぎり正直なところではなかったか。病兵を叱咤して打つ婦長も兵もみな被害者だという図式はわかりやすい。では加害者は誰なのか、ひとり「軍部」にその責を負わせるのか。そんな問いかけは過去のみならず。今も未曾有の「人災」の総括が問われている。『みんな俳句が好きだった』(2007)所載。(今井 聖)




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