巨峰をいただいた。段ボール箱に雷電為右衛門が描かれている。(哲




2011N926句(前日までの二句を含む)

September 2692011

 ほがらかな柿の木一本真昼かな

                           火箱ひろ

の木を見るのが好きだ。子供の頃から、周辺に柿の木が多かったからかもしれない。若葉の頃の柿の木は子供心にも美しいと感じたし、実をたわわにつけた秋の木にはとても豊饒感があって、見ているだけで幸せな気分になる。その柿の木に性格を読むとすれば、なるほど「ほがらか」がふさわしい。秋の青空を背景に立つ姿は、陽気そのものだ。いま暮らしている東京都下にも柿の木が点在していて、とくに中央線で立川を過ぎて八王子の辺りを通りかかると、古い家の庭に植えられている木が目立ってくる。自然と、心が弾んでくる。作者と同じように、しばらく学生時代に私も京都市北区で暮らしていたが、はてあのあたりに目立つ柿の木はあっただろうか。覚えていないが、もちろんこの木は京都のものでなくてもよいわけだ。「ほがらかな柿の木」が、快晴の空の下にしいんと立っている「真昼」である。句の奥のほうに、逆に人間の哀しみのようなものも滲んで見えてくる。『えんまさん』(2011)所収。(清水哲男)


September 2592011

 ねばりなき空に走るや秋の雲

                           内藤丈草

を読んでいると、たまに、ああこれは作り過ぎているなと感じることがあります。こんなに短い表現形式なのに、盛りだくさんに技巧を凝らすと、そういうことになるようです。所詮は作り物なのだから、作品の中から作意を完全に消し去ることはできません。だから凝った表現は、せめて一句に一か所にしてもらいたいものです。今日の句、凝っているのはもちろん「ねばりなき」のところです。それ以外には特段解説できるようなところはありません。さっぱりしています。このさっぱりが、なかなかすごいのです。雲が秋の空に抵抗を感じないように、句を作る所作にも、余分な抵抗はなさそうです。言葉は自然に生まれ、生まれたままの姿で句に置かれ、秋空を滑る雲のように、読者の目の中に滑り込んできます。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


September 2492011

 ぽんとトースト台風は海へ抜け

                           原 雅子

さに台風が駆け抜けた今週だった。台風一過にしては暑さが残ったが、空は秋、翌日早朝の鰯雲に小さな月が漂っていた。文字通り海に抜け、やがて消えてしまう台風だが、あっけらかんと晴れるその感じが、ポップアップトースターの、ぽん、にぴたっと来る。今はオーブントースターが主流だけれど、昔は我が家でもトーストはぽんと飛び出ていた。楽しいし、食パンをトーストすることに特化している分、断然おいしいというポップアップ式。こんがり焼けて飛びだしてきたトーストでなくては、こんな句も生まれない。『束の間』(2011)所収。(今井肖子)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます