September 092011
目薬さし耳栓をして月の出待つ
田川飛旅子
濡れた抒情と乾いた抒情というふうに分類するとこういう句は後者。即物リアルと言いかえてもいい。即物リアルを狙う場合、即物の「物」自体に情緒があればそれほど乾いた抒情にならずに済む。その語が従来的に背負っているロマンを醸してくれるからだ。問題はこの句のように目薬や耳栓のような「物」が従来的なロマンを背負わない場合だ。乾いた抒情は限りなく只事に接近する。しかし、誰も手をつけなかったいちばんの「美味しい」部分はその境目ではないか。『使徒の眼』(1993)所収。(今井 聖)
September 082011
戀の數ほど新米を零しけり
島田牙城
新米は美しい、新米はぬくい、新米は水気たっぷりで、一粒一粒が光っている。田舎で採れた新米を汲みあげたばかりの井戸の水で炊くとどうしてこんなにうまいのだろう。炊きあがったご飯をしみじみ噛みしめたものだ。今年も新米の出回る時期になった。原発事故の起こった今年、米作農家は祈るような気持ちで米を育ててきたことだろう。掌に掬いあげた新米がきらきら指のあいだから零れてゆく。初恋をはじめとして実らなかった恋愛の数々のように。ちょっと気取った表現が「そんなにたくさん恋愛したの?」と思わず突っ込みを入れたくなるユーモラスな味わいを滲ませている。恋と新米の取り合わせが新鮮。『誤植』(2011)所収。(三宅やよい)
September 072011
片なびくビールの泡や秋の風
会津八一
真夏に飲むビールのうまさ・ありがたさは言うまでもない。また冬に、暖房が効いた部屋で飲む冷たいビールもうれしい。いつの間にか秋風が生まれて、ちょっと涼しくなった時季に飲むビールの味わいも捨てがたい。(もっとも呑んベえにとって、ビールは四季を通じて常にありがたいわけだが)屋外で飲もうとしているジョッキの表面を満たした泡が、秋風の加減で片方へそれとなく吹き寄せられているというのが、掲句の風情である。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども…」と古歌には詠まれているが、この歌人はビールの泡のかすかななびき方を目にして、敏感に秋を感じているのである。ビールの泡の動きと白さが、おいしい秋の到来を告げている。八一は十八歳で俳句結社に所属して句作を始め、その後「ホトトギス」「日本」などを愛読して投句し、数年ほどつづけた。一茶の研究をしたり、俳論をたくさん書いたが、奈良へ旅してのち次第に和歌のほうに傾斜して行った。他に「川ふたつわたれば伊勢の秋の風」がある。ビール党の清水哲男には「ビールも俺も電球の影生きている」の句がある。「新潟日報」2011年8月22日所載。(八木忠栄)
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