2011N9句

September 0192011

 遺児めきぬ二百十日の靴の紐

                           木村和也

日は九月一日。1923年午前11時58分、関東大震災の起こった日でもある。立春から数えて二百十日目のこのあたりは稲の開花時期でもあるが、台風がよく襲来することもあって昔から厄日とされていたという。この日が防災の日と定められたのは1960年から、今日は小学校、中学校の始業式に合わせて各地で防災訓練が行われることだろう。ところで掲句の靴の紐は、しっかりと靴に装着された靴紐ではなくて、予備として靴箱に置かれたものだろう。もしかすると本体の靴はとっくに処分されているかもしれない。残った靴紐を「遺児めく」と大げさに捉えた見方が意表を突く。大きな余震が続く東京では、次は関東大震災にまさる大地震が来るのではと不安に思っている人も多い。私が勤務している職場でも防災訓練が行われるが、今年は力の入ったものになりそうだ。まずは靴紐をしっかり結ばなければ。『新鬼』(2009)所収。(三宅やよい)


September 0292011

 籾殻のけぶり冷たき人のそば

                           森賀まり

ぶりは名詞煙。または動詞煙るの連用形。僕は前者のように思う。けぶりが冷たいのではない。けぶりではっきりと切る。冷たきはこころの問題ではなく体の冷えだろう。そうでないと嫌な人に添っていることになる。籾殻も冷えも季感をあらわすがそんなことは問題ではない。体が冷えてしまった人のそばにいてその人の冷えを感じている。籾殻を焼く煙が二人を包んでいる。淋しい句だがこころが熱くなる句だ。『ねむる手』(1996)所収。(今井 聖)


September 0392011

 あきかぜのなかの周回おくれかな

                           しなだしん

という漢字は、稲の実り、太陽などを表しているという。いわゆる実りの秋ということだが、一方で、もの思う秋というイメージもある。虚子編歳時記には、春愁、はあるが、秋思、はなく、その理由は「秋にもの思うというのはあたりまえなので、取り立てて季題にすることはないと思われたのでは」とのことだ。昨年改訂された『ホトトギス新歳時記 稲畑汀子編』には、秋思、が新季題として加えられたのだが、歳時記委員会でやはり最後まで議論の対象となった。掲出句、秋風、と書くと、秋という漢字からうけるもの寂しさのようなものが、風と周回遅れの足取りを重くする。あきかぜ、と書くと、風は一気に透明になり、日差しの中に明るいグラウンドの光景が浮かんでくる。季感の固定概念に囚われやすい私のような読者の視界を広げてくれる句だな、と思う。『夜明』(2008)所収。(今井肖子)


September 0492011

 僧朝顔幾死にかへる法の松

                           松尾芭蕉

週も芭蕉の句から。幾死は「いくし」、法は「のり」と読みます。誰の句だって、読みたいように読んでしまってよいわけです。しかし、この句はちょっと難しい。僧と朝顔は、死んではまた新しく生まれ出るものを象徴しています。朝顔は年々、それぞれの命を変えるものだし、僧の寿命は朝顔より長いものの、幾度も死んではまた生まれてくると考えれば、同じものと言えます。一方、松の方は、ずっと生き続けるものとして対比されています。法は仏法の法。宗教に携わる僧の命は絶えることがあっても、仏法は松のようにずっと生きているのだということなのでしょう。むろん松にも寿命はあるわけですが、ここは素直に読みましょう。それにしても年をとってくると、宇宙の大きさとか悠久の時の長さの中に、小さな自分をそっと置きたくなるのは、なぜでしょう。『芭蕉物語(上)』(1975・新潮社) 所載。(松下育男)


September 0592011

 うらがへる蝉に明日の天気かな

                           青山茂根

の死骸は、たいていが裏返っている。人間からすればまったくの無防備な体位に見えるが、それが自然体なのだろう。もっとも死に際しては無防備もへちまもない理屈だが、この句の蝉はまだ完全に死んではいないのかもしれない。つまり「うらがへる蝉」を「裏返りつつある蝉」と読むならば、この蝉はまだ生きていて瀕死の状態にあると解釈できるからだ。そんな状態の蝉に、作者は「明日の天気」の様子をかぶせるようにして見ている。すなわち、限りある命に限りない天気の移り行きを重ねて見ることで、そこに醸し出されてくる情景を凝視しているのである。あるときにはそれは世の無常と言われ、またあるときには自然の摂理などと言われたりもするわけだが、作者は一切そのような世俗的な感想を述べようとはしていない。命の瀬戸際など無関係に移り変わる空模様への予感を書くことで、命のはかなさではなく、落命を感傷的に捉えない視点を確立しようとしているように思える。この抒情は新しく、魅力的だ。明日、晴れるか。『BABYLON バビロン』(2011)所収。(清水哲男)


September 0692011

 早稲の香や雲また月を孕みたる

                           三森鉄治

方によっても異なるが、早稲の収穫は8月下旬。今年はほんの少しだが田植えの手伝いをさせていただいたこともあり、日本中のどこの田の様子もなにかと気になる。早苗が青田になり、稲になるまでの間に台風の通過や大雨のニュースがこんなにあるとは思わなかったので、早稲刈り取りの記事に胸をほっと撫で下ろす思いがした。月を隠しては明らかにする流れる雲を「月を孕む」と表現した掲句に、稲が幾多の障害をくぐりぬけ、色づき豊かに実る姿を重ねる。みごとに実った稲は甘い香りがするという。実は今まで稲が香るなど、感じたことも思ったこともなかった。今年はどこかで、実った田の香りを身体いっぱいに詰めてこようかと思う。田んぼも畑もずいぶんある場所で育ったはずなのだ。「あー、これなら知ってる」と身体が頷いてくれるかもしれない。〈まつさきに老いし鹿来て水飲めり〉〈それぞれの丈に山ある九月かな〉『栖雲』(2011)所収。(土肥あき子)


September 0792011

 片なびくビールの泡や秋の風

                           会津八一

夏に飲むビールのうまさ・ありがたさは言うまでもない。また冬に、暖房が効いた部屋で飲む冷たいビールもうれしい。いつの間にか秋風が生まれて、ちょっと涼しくなった時季に飲むビールの味わいも捨てがたい。(もっとも呑んベえにとって、ビールは四季を通じて常にありがたいわけだが)屋外で飲もうとしているジョッキの表面を満たした泡が、秋風の加減で片方へそれとなく吹き寄せられているというのが、掲句の風情である。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども…」と古歌には詠まれているが、この歌人はビールの泡のかすかななびき方を目にして、敏感に秋を感じているのである。ビールの泡の動きと白さが、おいしい秋の到来を告げている。八一は十八歳で俳句結社に所属して句作を始め、その後「ホトトギス」「日本」などを愛読して投句し、数年ほどつづけた。一茶の研究をしたり、俳論をたくさん書いたが、奈良へ旅してのち次第に和歌のほうに傾斜して行った。他に「川ふたつわたれば伊勢の秋の風」がある。ビール党の清水哲男には「ビールも俺も電球の影生きている」の句がある。「新潟日報」2011年8月22日所載。(八木忠栄)


September 0892011

 戀の數ほど新米を零しけり

                           島田牙城

米は美しい、新米はぬくい、新米は水気たっぷりで、一粒一粒が光っている。田舎で採れた新米を汲みあげたばかりの井戸の水で炊くとどうしてこんなにうまいのだろう。炊きあがったご飯をしみじみ噛みしめたものだ。今年も新米の出回る時期になった。原発事故の起こった今年、米作農家は祈るような気持ちで米を育ててきたことだろう。掌に掬いあげた新米がきらきら指のあいだから零れてゆく。初恋をはじめとして実らなかった恋愛の数々のように。ちょっと気取った表現が「そんなにたくさん恋愛したの?」と思わず突っ込みを入れたくなるユーモラスな味わいを滲ませている。恋と新米の取り合わせが新鮮。『誤植』(2011)所収。(三宅やよい)


September 0992011

 目薬さし耳栓をして月の出待つ

                           田川飛旅子

れた抒情と乾いた抒情というふうに分類するとこういう句は後者。即物リアルと言いかえてもいい。即物リアルを狙う場合、即物の「物」自体に情緒があればそれほど乾いた抒情にならずに済む。その語が従来的に背負っているロマンを醸してくれるからだ。問題はこの句のように目薬や耳栓のような「物」が従来的なロマンを背負わない場合だ。乾いた抒情は限りなく只事に接近する。しかし、誰も手をつけなかったいちばんの「美味しい」部分はその境目ではないか。『使徒の眼』(1993)所収。(今井 聖)


September 1092011

 同じ月見てゐる亀と兎かな

                           天野小石

曜日の夜の月は、兎の耳だけをのぞかせていよいよふっくらとして来た十日の月だった。この句の月は仲秋のくっきりとした名月、今年は十二日の月曜日が十五夜で満月でもある。四季折々友人と、いい月が出ています、というメールをやりとりすることがある。それが今別れたばかりの人でも、しばらく会っていない人でも、同じ月を見ているという、その時のほんのりとした距離感は変わらない。ウサギとカメ、といえば寓話の世界では手堅く努力したカメが隙だらけのウサギに勝つわけだが、そんなウサギは月でちゃっかり餅など搗いている。亀と兎の絶妙の組み合わせが、同じ月を見ている時の距離感と感覚を思わせ、誰も彼も月をただただ見てしまうのだ。『花源』(2011)所収。(今井肖子)


September 1192011

 団栗の寝ん寝んころりころりかな

                           小林一茶

の句、いったいどういう意味かと考え始めても、なかなかしっくりした答が出てきません。でも、意味は不明でも、読んでいるとなぜか心の奥が明るくなるような気がします。心の奥を明るくしてくれる句なんて、めったにあるものではありません。だから意味なんてどうでもいいのです。言葉のよい調子が、読む人の気分を穏やかにしてくれるし、団栗の姿形も、どこかとぼけていて安心させてくれるものがあります。団栗というと、手のひらに乗せて転がしてみたくなります。そんなことをしても、なにがどうなるわけでもないのに、ただ転がしてみたくなります。この句、子守唄がそのまま入っていますが、安らかに眠ってしまったのは、団栗を握ったままの、日々の労働に疲れきった人の方なのでしょうか。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


September 1292011

 空っぽの人生しかし名月です

                           榎戸満洲子

宵は仲秋の名月。名月の句は数えきれないほどあるけれど、この句はかなり異色だ。作者はべつに名月を待ちかねていたわけではないし、愛でようとしているわけでもないからである。しかも「空っぽの人生」とは言っているが、作者が自分の人生を深く掘り下げて得た結論でもなさそうで、せいぜいがその場の自虐的な感想程度にしか写らない。そう私が受け取るのは、たぶん「しかし」という接続詞が置かれているせいだろう。この「しかし」はほとんど「ともあれ、とまれ」と同義的に使われていて、前段を否定しているのではなく、それを容認する姿勢を残しつつ、後段に想いを移すという具合に機能している。つまり「人生」と「名月」とは無関係と認識しつつ、それこそ「しかし」、作者は無関係であることに感慨を抱いてしまっている。感慨無き感慨と言ってもよさそうな虚無的な匂いのする心の動きだ。こう読めば、作者の人生ばかりではなく誰の人生もまた、日月のめぐりのなかで生起しながら、やがては日月のめぐりに置き去りにされていくという思いにとらわれる。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


September 1392011

 青空やぽかんぽかんとカリンの実

                           沼田真知栖

載句のカリンは漢字。カリンもパソコン表示できない悩ましいもの。か(榠)はあっても、りん(木偏に虎頭に且)がない。りんごや梨のように枝から垂れるように実るというより、唐突な感じで屹立する。この意表をついた実りかたをなんと表現したらよいか、まさに掲句の「ぽかん」がぴったりなのだ。カリンの果実はとても固くて渋いので、生食することはできない。部屋に置いても長い期間痛むことなく、なんともいえない豊潤な香りを漂わせてくれるので、どこに落ちていても必ず持ち帰ることにしている。姿かたちもごく近しいマルメロはバラ科マルメロ属、カリンはバラ科ボケ属とわずかに異なる。サキの小説に『マルメロの木』というユーモア短編がある。愛すべき老婦人の庭の隅にある一本の「とても見事なマルメロの木」のために起きる小さな町の大騒動を描いたものだ。これもぽかんぽかんと実るマルメロがじつによい味を出している。〈小鳥くるチェロの形のチェロケース〉〈さはやかや橋全長を見渡して〉『光の渦』(2011)所収。(土肥あき子)


September 1492011

 ずっしりと水の重さの梨をむく

                           永 六輔

のくだものは豊富で、どれをとってもおいしい。なかでも梨は秋のくだものの代表だと言っていい。近年は洋梨も多く店頭に並ぶようになったが、日本梨の種類も多い。長十郎、幸水、豊水、二十世紀、新高、南水、愛宕、他……それぞれの味わいに違いがある。品種改良によって、いずれも個性的なおいしさを誇っている。私が子どもの頃によく食べたのは、水をたっぷり含んだ二十世紀だった。梨を手にとると、まず「ずっしり」とした「重さ」を感じることになる。それはまさに「水の重さ」である。梨は西瓜や桃に負けず水のくだものである。梨の新鮮なおいしさを「重さ」でとらえたところが見事。作者が詠んでいる「水の重さ」をもった梨の種類は何だろうか? それはともかく、秋の夜の静けさが、梨の重さをより確かなものにしているように思われる。古書に梨のおいしさは「甘美なること口中に消ゆるがごとし」とか「やはらかなること雪のごとし」などと形容されている。梨の句に「梨をむくおとのさびしく霜降れり」(日野草城)「赤梨の舌にざわつく土着性」(佐藤鬼房)などがある。『楽し句も、苦し句もあり、五・七・五』(2011)所載。(八木忠栄)


September 1592011

 胃は此処に月は東京タワーの横

                           池田澄子

んだ空に煌々と月が光っている。ライトアップされた東京タワーの横にくっきりと見える満月は美しかろう。ただ、この句は景色がメインではない。胃が存在感を持って意識されるのは、胸やけを感じたり、食べ過ぎで胃が重かったりと、胃が不調の時。もやもやの気分で、ふっと見上げた視線の先に東京タワーと月が並んでいる、あらっ面白いわね。その瞬間の心のはずみが句に感じられる。どんより重い胃とすっきり輝く月の対比を効かせつつ、今、ここに在る自分の立ち位置からさらりと俳句に仕立てるのはこの作者ならではの技。ただその時の気持ちを対象にからませて述懐すれば句になるわけではない。この句では「胃は此処に」に対して「月は東京タワーの横(に)」の対句の構成に「横」の体言止めですぱっと切れを入れて俳句に仕立てている。短い俳句で自分の文体を作り出すのは至難の業ではあるが、どの句にも「イケダスミコ」と署名の入った独特の味わいが感じられる。「今年また生きて残暑を嘆き合う」「よし分かった君はつくつく法師である」『拝復』(2011)所収。(三宅やよい)


September 1692011

 紫陽花に秋冷いたる信濃かな

                           杉田久女

本健吉が『現代俳句』の中で絶賛している。曰く、「「秋冷いたる」の音調は爽やかで快く、「信濃かな」の座五も磐石のように動かない。なぜ動かないか、理屈を言っても始まらぬ。とにかく微塵揺るぎもしないこの確かさは三嘆に価する。」健吉の評価に影響されずに読んでもまさに秀吟であることに異存はないが、今ならこんな句は絶対詠えないし、詠えても果たして評価を得るだろうかという思いが湧く。時代の推移による自然環境の変化という話ではない。今でもこの風景は信濃なら一般的。問題はふたつの季語が使われている点である。梅雨期の紫陽花という季語の本意に捉われてしまうと「秋冷」は絶対使えない。仮に句会でこの句を見たら本意を離れた特殊な設定として評価のうちに入れないような気がする。思えば当時はふたつの季語など俳句では一般的であった。一句に季語はひとつとうるさく言い出したのは戦後である。無季派との論議が盛んになったために季語の持つ有効性を強調する必要に迫られたことも影響しているのかもしれないが、早く効率的に俳句の技量を上げるという技術指導が流布したことが大きいのではないか。駄句をなるべく作らないという方法は同時に奇蹟のような秀句の誕生も阻害する。一句に季語はひとつという「約束」は効率以外のなにものでもないことはこういう句を見るとわかる。最近はそれを意識してか、一句に意図的に複数の季語を入れる試みをしている俳人もいる。そういう技術の披瀝を目的のあざとさが見えるとこれも不満。技術本の罪は大きい。『現代俳句』(1964)所収。(今井 聖)


September 1792011

 更待ちや階きしませて寝にのぼる

                           稲垣きくの

の間のない我が家では、壁のピクチャーレールに四季折々の軸を掛けている。今月は〈子規逝くや十七日の月明に〉(高濱虚子)。時代により虚子の文字はさまざまな趣を持つがこの軸は、子、十、月、のにじみと残りの九文字の繊細なかすれのバランスが美しい。その軸の前に芒を投げ入れ、朝な夕な月を見ていた一週間だった。今日は更待ち二十日月、月が欠けてゆくというのはこちらの勝手な見方ではあるが、なんとなくしみじみする。掲出句の家には床の間がありそうだ。二階の寝間への階段を一歩一歩上っている、ただそれだけのことながら、磨き込まれた階段の小さく軋む音が、深まる秋を感じさせる。ちなみに、今日の月の出は午後八時四分、歳時記にある亥の刻(午後十時)よりだいぶ早い。国立天文台に問い合わせてみると、月の動きはまことにデリケートなので計算どおりいかなかったり、年によって大きく変わるとのことだった。『新日本大歳時記 秋』(1999・講談社)所載。(今井肖子)


September 1892011

 秋暑く道に落せる聴診器

                           高橋馬相

の句が読者を振り向かせるかどうかは、道に落したものが何かにかかっています。当たり前なものではつまらないし、かといって「手術台の上のこうもり傘」ふうな、突拍子もないものでは、わざとらしさが残るだけです。おそらく、句を作っている時に、道に何を落したことにしようかなどと考え込んでいるようでは、期待できません。才を持っている人なら、何も考えずとも自然に思い浮かんでしまうものだし、その自然に思い浮かんだものが、ああなるほどと読者を納得させるものになってしまうのでしょう。ところでこの句、熱いアスファルトの上に落ちた聴診器が聴きとっているのは、去ろうとする夏の足音と考えても、よいのでしょうか。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社)所載。(松下育男)


September 1992011

 湯ざましのやうに過ぎけり敬老日

                           野崎宮子

ってつけたような国民の祝日は年に何日かあるが、敬老の日もその一つだ。「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」という定義からして空々しい。シルバーシートなどと同じで、そこにそれがあるからそこではじめて老人を意識するなんてことは、心の付け焼き刃に過ぎない。そんな心根で「敬愛」されたって、誰がうれしいと思うだろうか。まさに味気ない「湯ざまし」を飲まされている感じなのだ。湯ざましとは、水の衛生事情が未だしだった時代の殺菌消毒するための手段であった。ただ水を沸かすということは、水の中に含まれている溶存酸素を無くしてしまうために、人体に必要なミネラルも消えてしまう。そればかりか、これを飲むと、逆に水は人体にあるミネラルなどを吸収排出してしまうので、身体には有害だという説もある。作者はそこまで意識してはいないと思うが、今日の私も湯ざましのように索漠たる思いで過ごすのだろうか。『現代俳句歳時記・秋』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


September 2092011

 いつもあなたに褒められたかつた初涼

                           阿部知代

山本紫黄の前書がある。「面」を主宰していた山本紫黄は〈新涼の水の重たき紙コップ〉〈日の丸は余白の旗や春の雪〉など、諧謔と抒情の匙加減の絶妙な作家であった。俳縁とは不思議な縁である。ともすれば、その人の年齢も生業も知らないまま、何十年と付き合いが続く。亡くなって初めて、ご家族の顔を知ることも少なくない。俳人の葬儀では、故人が句会で発していた名乗りを真似た声が、どこからともなく上がるという。おそらく家族や親戚も知らない、座を共有した者たちだけが知る故人の声である。それはまるで鳴き交わしあった群れが、去っていく仲間に送る最後の挨拶のようだと、今も深く印象に残っている。俳句は、おおかたが大人になってから出会うこともあり、褒められるという機会がなくなった頃、句会で「この句が好きだ」と臆面もなく他人から言われることの喜びを得られる場である。そして、誰にも振り向かれなくても心から慕う人だけに取られたときの充足はこのうえないものだ。師を失った弟子の慟哭は限りない。生前は言えなかったが、もう会えない聞いてもらえないからこそ吐露できる言葉がある。そして、これほど切ない恋句はないと気づかされる。「かいぶつ句集」(2011年9月・第60号特別記念号)所載。(土肥あき子)


September 2192011

 秋の日の瀬多の橋ゆく日傘かな

                           鈴木三重吉

多は「瀬田」とも書く。いずれにせよこの橋は「唐橋」であり、琵琶湖へそそぐ瀬田川に架かっている橋としてよく知られている。「秋の日」といっても、日ざしがまだ夏を残していて強く感じられる。日焼けも気になるから、日傘をさしているのだろう。橋の上ではことさらに日ざしが強そうで気になるのかもしれない。瀬多の唐橋と言えば「近江八景」のうちであり、歌川広重が描いた「瀬多夕照」が思い出される。あの絵に描かれたスケールの大きな橋を、日傘をさして渡る姿は想像しただけでも晴れ晴れとする。掲句は想像ではなくて実景で詠まれたのかもしれない。「日傘」は夏の季語だが、この場合「季重なり」などと野暮は言わず、夏から秋への移り変わりの時季という設定であろう。ところで「瀬多の橋」で想起するのは、大岡信の傑作「地名論」という詩である。それは「瀬田の唐橋/雪駄のからかさ/東京は/いつも/曇り」とリズミカルに結ばれている。言うまでもなく「せたのからはし/せったのからかさ」の響きが意識されている。天候が変われば、「日傘」は「唐傘」にも変わる。木下夕爾の句に「秋の日や凭るべきものにわが孤独」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


September 2292011

 勉強の灯かと見て過ぐ秋黴雨

                           原 雅子

走台風の影響か、ここ数日雨が続いている。「秋黴雨」は「あきついり」曇りがちで小雨がじとじと降る梅雨のような長雨を言うが、俳句以外ではあまり出会わない言葉かもしれない。秋めいてくると夕暮れが短くなるが、雨の降る日はいっそう暗くなるのが早い。近所の家の一隅に電気がついている。そういえば元気よく外で遊んでいたあの子も受験の頃、早々と灯された部屋に思いをはせているのだろう。煌々と照らした塾に通うのが今風かもしれないが、昔は試験勉強や受験勉強は、孤独な作業だった。眠たい目をこすりながらいつまでも消えない同級生の勉強部屋の窓の灯が気になって仕方がなかった。遠い歳月の彼方に自分も点した「勉強の灯」。ちらっと見やった眼差しに暖かさが感じられる。『束の間』(2011)所収。(三宅やよい)


September 2392011

 デズニーに遊び小春の一と日かな

                           高浜年尾

のデズニーランドは本家本元。アメリカ、カリフォルニア州アナハイムにあり1955年に開園。年尾は1970年70歳のときにアメリカ旅行でここを訪れている。花鳥諷詠の俳人も遊園地を詠むんだな、70歳になっても遊園地に行くんだな、アメリカに行っても「小春」という季語を使うんだな、ディズニーと言わずデズニーと言ったんだな、そんなこんなも含めてこの俗調が持つ俳句の臭みにどこかやすらぎのようなものも感じる。日本の演歌やアメリカのカントリーウエスタンがどれも似たような歌詞やメロディーであることに安堵を感じるのと似ているような気がする。「一と日」も「かな」も諷詠的趣で対象とミスマッチな感があるがそこがまたなんともカワイイではないか。朝日文庫『高浜年尾・大野林火集』(1985)所収。(今井 聖)


September 2492011

 ぽんとトースト台風は海へ抜け

                           原 雅子

さに台風が駆け抜けた今週だった。台風一過にしては暑さが残ったが、空は秋、翌日早朝の鰯雲に小さな月が漂っていた。文字通り海に抜け、やがて消えてしまう台風だが、あっけらかんと晴れるその感じが、ポップアップトースターの、ぽん、にぴたっと来る。今はオーブントースターが主流だけれど、昔は我が家でもトーストはぽんと飛び出ていた。楽しいし、食パンをトーストすることに特化している分、断然おいしいというポップアップ式。こんがり焼けて飛びだしてきたトーストでなくては、こんな句も生まれない。『束の間』(2011)所収。(今井肖子)


September 2592011

 ねばりなき空に走るや秋の雲

                           内藤丈草

を読んでいると、たまに、ああこれは作り過ぎているなと感じることがあります。こんなに短い表現形式なのに、盛りだくさんに技巧を凝らすと、そういうことになるようです。所詮は作り物なのだから、作品の中から作意を完全に消し去ることはできません。だから凝った表現は、せめて一句に一か所にしてもらいたいものです。今日の句、凝っているのはもちろん「ねばりなき」のところです。それ以外には特段解説できるようなところはありません。さっぱりしています。このさっぱりが、なかなかすごいのです。雲が秋の空に抵抗を感じないように、句を作る所作にも、余分な抵抗はなさそうです。言葉は自然に生まれ、生まれたままの姿で句に置かれ、秋空を滑る雲のように、読者の目の中に滑り込んできます。『日本大歳時記 秋』(1971・講談社) 所載。(松下育男)


September 2692011

 ほがらかな柿の木一本真昼かな

                           火箱ひろ

の木を見るのが好きだ。子供の頃から、周辺に柿の木が多かったからかもしれない。若葉の頃の柿の木は子供心にも美しいと感じたし、実をたわわにつけた秋の木にはとても豊饒感があって、見ているだけで幸せな気分になる。その柿の木に性格を読むとすれば、なるほど「ほがらか」がふさわしい。秋の青空を背景に立つ姿は、陽気そのものだ。いま暮らしている東京都下にも柿の木が点在していて、とくに中央線で立川を過ぎて八王子の辺りを通りかかると、古い家の庭に植えられている木が目立ってくる。自然と、心が弾んでくる。作者と同じように、しばらく学生時代に私も京都市北区で暮らしていたが、はてあのあたりに目立つ柿の木はあっただろうか。覚えていないが、もちろんこの木は京都のものでなくてもよいわけだ。「ほがらかな柿の木」が、快晴の空の下にしいんと立っている「真昼」である。句の奥のほうに、逆に人間の哀しみのようなものも滲んで見えてくる。『えんまさん』(2011)所収。(清水哲男)


September 2792011

 小鳥来る三億年の地層かな

                           山口優夢

6回俳句甲子園大会最優秀句となった作品である。三億年前とはペルム紀という年代にあたる。ペルム紀は地球史上最大の大量絶滅で時代を終えた。それは連続した火山噴火の大量の粉塵によって太陽光が遮られたことによると考えられているが、これが9割の海洋種と7割の地上動物が死に絶えさせた。その後一億年の時間をかけ、生命は辛抱強く進化をとげ、ふたたび命あふれるジュラ紀、白亜紀を経て、現在の地表まで続いている。小鳥たちが翼を持ち、子育てのために移動をする手段を覚えたことも、悠久の歴史のなかで繰り返し淘汰され選択された結果である。掲句は渡ってきた小鳥たちを見上げ、踏みしめている土の深部に思いを馳せる作者が、地表から小鳥たちまでの空間を結びつける。地層を重ねる地球の上に立っている事実は、どこか地球のなりたちに加わっているような、むずむずとくすぐったい、雄大な心地となるのである。〈あぢさゐはすべて残像ではないか〉〈鳥あふぐごとナイターの観衆は〉『残像』(2011)所収。(土肥あき子)


September 2892011

 わが庭に何やらゆかし木の実採り

                           瀧口修造

外やあの瀧口修造も俳句を書いた。掲句の「木の実」とは、ドングリなどのたぐいの「木の実」ではなく、実際この場合は「オリーブの実」なのである。もちろん鑑賞する側は、「木の実」一般と解釈して差し支えないだろう。私も何回かお邪魔したことがあるけれど、瀟洒な瀧口邸の庭には枝をこんもりと広げた立派なオリーブの大樹があった。秋になると親しい舞踏家や美術家たちが集まって、稔ったたくさんの実を収穫し、それを手のかかる作業を通じて、塩漬けして瓶詰めにする。それを親しい人たちに配る、という作業が恒例になっていた。私もある年一瓶恵まれたことがある。ラベルには「Noah’s Olives」と手書きされていた。私はいただいた瓶が空になってからも大事に本棚に飾っていたのだが、いつかどこやらへ見えなくなってしまった。秋の一日、親しい人たちがわが庭で、楽しそうにオリーブ採取の作業をしている様子を、修造は静かに微笑を浮かべながら「ゆかし」と眺めていたに違いない。ワガ庭モ捨テタモノデハナイ。「何やらゆかし」は、芭蕉の「山路来て何やらゆかしすみれ草」を意識していることは言うまでもない。そこに修造独特の遊びと諧謔精神が感じられる。修造には、吉田一穂に対する弔句「うつくしき人ひとり去りぬ冬の鳥」がある。『余白に書くII』(1994)所収。(八木忠栄)


September 2992011

 片仮名でススキと書けばイタチ来て

                           金原まさ子

ーん。不思議な句だ。芒、薄、すすき、金色に吹かれるその姿を表す表記はいろいろ選べる。ススキと書くとどうしてイタチが来るのか。だいたい「どうして」って意味を問うこと自体野暮なのだろう。この句と出会って思い出すたび気になり、ずっと心の片隅に引っかかっている。確かに裾の開いた片仮名でススキと書いてみると、その隙間をつややかな尾を光らせてつつつつとイタチが走り抜けてゆきそうな気がする。「ススキと書けばイタチ来て」、のリズムも音の流れもステキだ。未だによい解釈は思い浮かばないけど、街で「スズキ」自動車の看板を見てもはっとしてしまう。きっと私はこの句をずっと忘れないだろう。どうしても解けない謎は謎のまま、まるごと愛し続けることが作者が感じた不思議と共鳴する唯一の方法かもしれない。『遊戯の家』(2010)所収。(三宅やよい)


September 3092011

 月下婦長病兵をうち泣きにけり

                           秋山牧車

の句には前書がある。「戦場における看護婦の献身には感銘せり。いま一婦長大いなる荷を背負い三、四十名の病兵を引率す。『あなたはそれでも帝国軍人ですか』と叫びて」。前書は具体的だが、この句だけでも意は尽くしている。看護婦が兵を「うち」、泣く。このリアルが胸を打つ。大本営から最前線に派遣された職業軍人としての述懐である。戦後、戦争責任追及の嵐が吹き、戦中は反戦の立場であったと証しするか否かが文学者としての決定的な踏絵となった。俳人も例外ではない。戦後になって戦中に作ったという反戦の句を発表する者、戦中に作った軍人への追悼句や日本軍への応援句を句集から削除する者。負けるのはわかっていたという者、終戦の詔勅を聞いてホッとしたという者、これらはみな処世の策とみることも出来よう。勝てないまでも負けないで欲しいと願ったと振り返った俳人を知っているが、これがぎりぎり正直なところではなかったか。病兵を叱咤して打つ婦長も兵もみな被害者だという図式はわかりやすい。では加害者は誰なのか、ひとり「軍部」にその責を負わせるのか。そんな問いかけは過去のみならず。今も未曾有の「人災」の総括が問われている。『みんな俳句が好きだった』(2007)所載。(今井 聖)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます