午後から東京エフエムで収録。今年のお盆は特別な思い、等々。(哲




2011ソスN8ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1082011

 ワイシャツは白くサイダー溢るゝ卓

                           三島由紀夫

イシャツ、サイダー、卓がならべられた、別段むずかしい俳句ではない。意外や、この作家もかつて俳句を作っていたという事実。詩も作った。ワイシャツの白さと、溢れるサイダーの泡の白さが重ねられて、三島らしい清潔感に着目した句である。学習院の初等科に入った六歳のときから俳句を作りはじめ、中等科になって一段と熱が入ったという。同級生の波多野爽波と一緒に句会に顔を出したり、吟行に出かけたりしたらしい。掲句はその当時のものと思われる。他に「古き家の柱の色や秋の風」という句もある。しかし、間もなく爽波の俳句の才能に圧倒されて、自分は小説のほうへ移った。現在残されているいちばん古い句に「アキノカゼ木ノハガチルヨ山ノウエ」という可愛い句がある。俳句について、三島は後年次のように書いていた。「ただの手なぐさみの俳句では、いつまでたっても素人の遊びにすぎず……」。若くしてのどかな句会に対して疑問も感じていたようである。一九七〇年に自決したときの辞世の歌の一首に「散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐」がある。この歌の評価は低かったという記憶がある。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


August 0982011

 八月の赤子はいまも宙を蹴る

                           宇多喜代子

1945年の本日午前11時2分、長崎市に原爆が投下された。その瞬間赤子は永遠に赤子のまま、時間は凍りついた。掲句の赤子が象徴しているものは、日常が寸断された世界である。笑おうとした顔、なにげなく見あげた時計、蝉の背に慎重にかざす捕虫網。普段通りの仕草の途中で、唐突に命がなくなってしまったとき、その先に続くはずだった動作は一体どこへ行ってしまうのだろう。彼らは、永遠に笑い、時計を見やり、蝉を捕り続けているのではないのか。その途方に暮れた魂を思うとき、わたしたちは今も頭を垂れ、醜い過ちを思い、静かに祈るしかないのだろう。『記憶』(2011)所収。(土肥あき子)


August 0882011

 西瓜喰ふ欠食児童のやうに喰ふ

                           佐山哲郎

んなふうに食べようが勝手とはいうものの、西瓜を上品にスプーンですくって食べている人を見ると、鼻白む。あれで美味しいのだろうか。句のようにかぶりついたほうが、よほど美味いと思うんだけど。ところでこの句は、現代だからこそ成立する句だと思った。そこらじゅうに「欠食児童」がいた時代だったら、洒落にもならないからだ。もはや思い出のなかにしか存在しない「欠食児童」。西瓜にかぶりつきながら、苛烈な空腹を微笑とともに追懐することができるから、句になっているのである。私も学校に弁当を持っていけない子だった。弁当の時間に何人かの「欠食児童」といっしょに校庭に出て、ただぼんやりしていた時間は忘れられない。大人になってからのクラス会で、そんなぼくらに自分の弁当をわけるべきかどうかと悩んでくれていた友人がいたことを知った。「でも、オレは分けないことにした。きみらのプライドが傷つくと思ったからね」。こう聞かされたとき、私は思わず落涙した。お前はなんて優しくて偉い奴なんだ…。傷ついていたのは、欠食児童の側だけではなかったのだと、深く得心したのだった。今日立秋。「西瓜」はなぜか秋の季語である。『娑婆娑婆』(2011)所収。(清水哲男)




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