広島忌。被爆後半年ほどの広島駅を通った記憶。真っ暗だった。(哲




2011ソスN8ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0682011

 畳より針おどり出ぬ蠅叩

                           齋藤俳小星

元文庫の『現代俳句全集 第一巻』(1953)を読んでいた。八月六日の句に出会えないものか、と思ったのだがなかなかめぐり会えず、それとは別に今や非日常となった季節の言葉を詠んだ句の数々に興味を惹かれた。掲出句の蠅叩、少なくとも都会ではとんと見かけない。子供の頃は、夏とセットだった蠅。蠅取り紙のねばねばや蠅帳は、仄暗い台所の床の黒光りとこれまたセットで思い出される。思いきり叩くと、畳の弾力が蠅を仕留めた実感を伝えるのだが、その勢いで、畳から縫い針が飛び上がったという瞬間、作者の一瞬の表情が見える。針の数を数えなさい、落ちている針を踏んで血管に入ったらあっという間に脳へ行って死んでしまうのよ・・・そう言われて、子供心に恐かったのを思い出すが、畳に落ちた針は、特に畳の目にはまってしまうとなかなか見つからない。ちなみに、作者の俳号、俳小星(はいしょうせい)は、「はい、小生」、という名告りの語呂合わせだとか。〈灯を消せば礫とび来ぬ瓜番屋〉〈家の中絹糸草の露もてる〉(今井肖子)


August 0582011

 驟雨くる病院帰りの水の味

                           寺田京子

らはどれほど勇気をもらったことだろう。子規や波郷や玄や京子に。命の消え際のぎりぎりまで「もの」を視た。視覚、嗅覚、触覚、味覚、聴覚を総動員して「瞬間」を感じ取った。生きている時間を刻印した。あらゆる俳句の要件を味方につけて結局はそれより大切なものをゴールに蹴り込んだ。修辞的技術よりも「自分」を一行に刷り込むことを優先させた俳人だ。『雛の晴』(1983)所収。(今井 聖)


August 0482011

 被爆者の満ち満ちし川納涼舟

                           関根誠子

民喜の「永遠のみどり」の一節に「ヒロシマのデルタに/若葉うづまけ/死と焔の記憶に/よき祈りよ こもれ」とあるように大田川の下流のデルタ地域に広島市はある。四本に分流した川はそのまま瀬戸内海へ注ぎ込む。原爆投下の直後、火に包まれた街から水を求めて多くの人達が川に集まったことだろう。八月六日の夜には原爆で亡くなった人たちの名前を書いた無数の灯籠が流される。その同じ川に時を隔てて納涼舟が浮かんでいる。川の姿はちっとも変っていないが、時間の隔たりを凝縮して思えばその二つの図柄の重なりが「ヒロシマ」を主題とした一つの絵巻物のように思える。「死者生者涼めとここに沙羅一樹」村越化石の「沙羅」のように川は人間世界の時間を越えてとうとうと流れ続ける。『浮力』(2011)所収。(三宅やよい)




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