早くもランドセル商戦。お盆休みに祖父母の財布をねらう企て。(哲




2011ソスN8ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0582011

 驟雨くる病院帰りの水の味

                           寺田京子

らはどれほど勇気をもらったことだろう。子規や波郷や玄や京子に。命の消え際のぎりぎりまで「もの」を視た。視覚、嗅覚、触覚、味覚、聴覚を総動員して「瞬間」を感じ取った。生きている時間を刻印した。あらゆる俳句の要件を味方につけて結局はそれより大切なものをゴールに蹴り込んだ。修辞的技術よりも「自分」を一行に刷り込むことを優先させた俳人だ。『雛の晴』(1983)所収。(今井 聖)


August 0482011

 被爆者の満ち満ちし川納涼舟

                           関根誠子

民喜の「永遠のみどり」の一節に「ヒロシマのデルタに/若葉うづまけ/死と焔の記憶に/よき祈りよ こもれ」とあるように大田川の下流のデルタ地域に広島市はある。四本に分流した川はそのまま瀬戸内海へ注ぎ込む。原爆投下の直後、火に包まれた街から水を求めて多くの人達が川に集まったことだろう。八月六日の夜には原爆で亡くなった人たちの名前を書いた無数の灯籠が流される。その同じ川に時を隔てて納涼舟が浮かんでいる。川の姿はちっとも変っていないが、時間の隔たりを凝縮して思えばその二つの図柄の重なりが「ヒロシマ」を主題とした一つの絵巻物のように思える。「死者生者涼めとここに沙羅一樹」村越化石の「沙羅」のように川は人間世界の時間を越えてとうとうと流れ続ける。『浮力』(2011)所収。(三宅やよい)


August 0382011

 点滴の落つ先に見ゆ夏の雲

                           坂東彌十郎

、歌舞伎座は再建中で、しばらく更地での工事がつづいている。木挽町界隈は淋しい限りである。掲句は、近年、大柄な存在感で売り出してきている彌十郎の句として、繊細にしてスケールの大きい夏らしい姿がしっかり決まっている。点滴と作者の大柄な体躯との対比に、一種の好もしさを感じる。タク…タク…とゆっくり落ちてゆく点滴のしずくの向こう、病室の窓越し、青空に白い雲がでっかく鮮やかに見えているのだろう。病院ネタにしては暗さが感じられず、カラリとしていて後味がいい。一刻も早く健康を取り戻し、点滴から解放されて夏雲のほうへ出かけて行きたい、そんなはやる気持ちがあふれている。彌十郎によれば、古くから歌舞伎と俳句は深いつながりがあって、十五代目羽左衛門、六代目菊五郎、十七代目勘三郎らをはじめ、俳句をやっていた役者は少なくない。彼らは俳号もちゃんともっていた。彌十郎の俳号は酔寿。暇を見つけては句会に熱心に足をはこんでいる。彼の亡き兄・吉弥もかつては俳句を嗜んでいた。初代吉右衛門や現幸四郎の俳句もよく知られている。彌十郎には他に「街灯の下のみ激し春の雪」がある。『かいぶつ句集』42号(2008)所収。(八木忠栄)




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