学生時代の夏休みには『戦争と平和』など長編を読んだものだった。(哲




2011ソスN8ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0382011

 点滴の落つ先に見ゆ夏の雲

                           坂東彌十郎

、歌舞伎座は再建中で、しばらく更地での工事がつづいている。木挽町界隈は淋しい限りである。掲句は、近年、大柄な存在感で売り出してきている彌十郎の句として、繊細にしてスケールの大きい夏らしい姿がしっかり決まっている。点滴と作者の大柄な体躯との対比に、一種の好もしさを感じる。タク…タク…とゆっくり落ちてゆく点滴のしずくの向こう、病室の窓越し、青空に白い雲がでっかく鮮やかに見えているのだろう。病院ネタにしては暗さが感じられず、カラリとしていて後味がいい。一刻も早く健康を取り戻し、点滴から解放されて夏雲のほうへ出かけて行きたい、そんなはやる気持ちがあふれている。彌十郎によれば、古くから歌舞伎と俳句は深いつながりがあって、十五代目羽左衛門、六代目菊五郎、十七代目勘三郎らをはじめ、俳句をやっていた役者は少なくない。彼らは俳号もちゃんともっていた。彌十郎の俳号は酔寿。暇を見つけては句会に熱心に足をはこんでいる。彼の亡き兄・吉弥もかつては俳句を嗜んでいた。初代吉右衛門や現幸四郎の俳句もよく知られている。彌十郎には他に「街灯の下のみ激し春の雪」がある。『かいぶつ句集』42号(2008)所収。(八木忠栄)


August 0282011

 心太足遊ばせて食べにけり

                           佐藤ゆき子

透明のトコロテンがガラスの器におさまっている様子は、かたわらに添えられているものが酢醤油と練り辛子であっても、黒蜜ときな粉であっても絵になる涼しさである。天突きで頭を揃えて出てくるかたちにも似て、するするっと胃の腑に落ちれば、酷暑にへこたれている身体もしゃんとするのではないか。ではないか、と憶測するのは、個人的には苦手なのだ。しかし、他人が食べているのを見ていると、なんとも美味しそうに思えるのだから不思議だ。あまりにも美味しそうに見えて、何年かに一度は、一本くらいもらったりするのだが、やはり口にすれば苦手を再認識するばかりである。あるとき、心太を前にした母が「つわりの時でさえ、これだけは食べることができて三食ずっと食べてた」とつぶやいた。わたしの誕生日は10月である。その前の数カ月、母はひたすらこればかりを摂取していたのだ。医学的に立証されなくても、きっとここに原因があるのだと思う。来る日も来る日も心太ばかりで、わたしはもうじゅうぶん食べ過ぎたのだ。とはいえ、透明感と涼感に溢れる食べ物であることには間違いない。掲句の「足を遊ばせる」とは、縁側や、やや高い椅子などに腰掛けて、足を揺らす動作だが、心太が収まっていく身体が喜んでいるようにも思える。〈尺蠖に白紙のページ這はれをり〉〈卓上が海へと続き夏料理〉『遠き声』(2011)所収。(土肥あき子)


August 0182011

 うなだれて八月がくる広島に

                           小山一人静

名を擬人化した句はめずらしいのではなかろうか。今年もまた「八月」がやってきた。うなだれて「広島」に来たのは、むろんこの月が原爆投下日を含んでいるからだ。原爆さえ落とされていなかったなら、広島の八月の表情はずいぶんと変わっていただろうに。「うなだれて」いると感じるのは、もとより作者自身の気持ちがそうだからなのだが、これを「八月」自身の気持ちとして捉えてみると、被爆という現実が個人の思いをはるかに超えたところに定着していることがわかる。否応なく、八月は被爆の無残を告げ、人間の無力感を増幅させる。もうあんなことは忘れたいのにと思っても、八月がそれを許さない。「うなだれ」ながらも、告げるべきことは告げなければと、八月は今年も巡ってきたのだ。来年からの「福島」にも「三月」は同じようにうなだれてやってくるのだろう。未来永劫、これら「八月」や「三月」が颯爽とした顔つきでやってくることはあるまい。私たち人間は、いつまで愚かでありつづけるのか。『未来図歳時記』(2009)所収。(清水哲男)




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