記念会ご出席の方々からたくさんメールを頂きました。感謝です。(哲




2011ソスN8ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 0282011

 心太足遊ばせて食べにけり

                           佐藤ゆき子

透明のトコロテンがガラスの器におさまっている様子は、かたわらに添えられているものが酢醤油と練り辛子であっても、黒蜜ときな粉であっても絵になる涼しさである。天突きで頭を揃えて出てくるかたちにも似て、するするっと胃の腑に落ちれば、酷暑にへこたれている身体もしゃんとするのではないか。ではないか、と憶測するのは、個人的には苦手なのだ。しかし、他人が食べているのを見ていると、なんとも美味しそうに思えるのだから不思議だ。あまりにも美味しそうに見えて、何年かに一度は、一本くらいもらったりするのだが、やはり口にすれば苦手を再認識するばかりである。あるとき、心太を前にした母が「つわりの時でさえ、これだけは食べることができて三食ずっと食べてた」とつぶやいた。わたしの誕生日は10月である。その前の数カ月、母はひたすらこればかりを摂取していたのだ。医学的に立証されなくても、きっとここに原因があるのだと思う。来る日も来る日も心太ばかりで、わたしはもうじゅうぶん食べ過ぎたのだ。とはいえ、透明感と涼感に溢れる食べ物であることには間違いない。掲句の「足を遊ばせる」とは、縁側や、やや高い椅子などに腰掛けて、足を揺らす動作だが、心太が収まっていく身体が喜んでいるようにも思える。〈尺蠖に白紙のページ這はれをり〉〈卓上が海へと続き夏料理〉『遠き声』(2011)所収。(土肥あき子)


August 0182011

 うなだれて八月がくる広島に

                           小山一人静

名を擬人化した句はめずらしいのではなかろうか。今年もまた「八月」がやってきた。うなだれて「広島」に来たのは、むろんこの月が原爆投下日を含んでいるからだ。原爆さえ落とされていなかったなら、広島の八月の表情はずいぶんと変わっていただろうに。「うなだれて」いると感じるのは、もとより作者自身の気持ちがそうだからなのだが、これを「八月」自身の気持ちとして捉えてみると、被爆という現実が個人の思いをはるかに超えたところに定着していることがわかる。否応なく、八月は被爆の無残を告げ、人間の無力感を増幅させる。もうあんなことは忘れたいのにと思っても、八月がそれを許さない。「うなだれ」ながらも、告げるべきことは告げなければと、八月は今年も巡ってきたのだ。来年からの「福島」にも「三月」は同じようにうなだれてやってくるのだろう。未来永劫、これら「八月」や「三月」が颯爽とした顔つきでやってくることはあるまい。私たち人間は、いつまで愚かでありつづけるのか。『未来図歳時記』(2009)所収。(清水哲男)


July 3172011

 昼寝よりさめて寝ている者を見る

                           鈴木六林男

の句はいいな、と感じるときには、二種類あります。句のほうに向かって、自分の感受性がぐいぐい引きこまれてしまう場合と、反対に句のほうがこちらにやってきてくれて、自分の感覚に寄り添ってくれる場合です。自分にはない新鮮な美しさをもたらしてくれるのが前者。自分の中の懐かしさや優しさを思い出させてくれるのが、後者です。この句に惹かれたのは、後者の感じ方によります。座敷にゴロゴロと、誰が先ともなく、いつのまにか眠ってしまい、ふと目が覚めると、まだ他の人は眠っていたという状況のようです。つまりは思いがけなくも、いつもそばにいる人の寝顔をじっくりと見ることになるわけです。ああ、たしかにこういう経験って、幾度もしたことがあるなと、思い出し始めます。家族みんなでぐっすり眠っていたこともあるし、あるいは高校生だった頃の夏に、臨海学校の大きな畳敷きの部屋で、たくさんのクラスメートと眠っていたこともありました。もちろん外では、蝉がやかましいばかりに鳴いていました。長く生きていると、ひとつの句から、いくつもの大切な情景が思い出されてきて、そのたびに幸せな記憶に漂ってしまいます。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)




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