どうも天気がシャキッとしませんね。そのせいかどうか、食欲不振。(哲




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July 2772011

 間断の音なき空に星花火

                           夏目雅子

日本大震災があって、今夏は花火を自粛したり延期したりする地域が目立つ。うーん、仕方がないか。でも、万感の思いをこめて揚げられる復興花火こそは、いつになく夜空をダイナミックに彩ってほしいと願いたい。白血病のため二十六年前、二十七歳の若さで惜しまれつつ逝った女優夏目雅子は、高校時代から俳句をはじめたそうで、俳句を趣味として、女優になってからは浅井慎平らの東京俳句倶楽部に顔を出すようになったという。掲句は慶応病院に入院中、最期に詠んだ俳句とされる。八月の神宮外苑花火大会だろう(今年も開催される)。病院の締めきった窓からは、花火の色やかたちは見えても音ははっきりと聴こえてこない。音なき花火は拍子抜けするものだが、それにとどまらずどこかしら淋しい。遠い夜空の星花火として眺めている雅子の表情は、一見うれしそうでも、じつは淋しかったにちがいない。単に「花火の音」ではなく「間断の音なき」としたことで、花火がいっそう立体化されている。雅子には破調の句が多く、山頭火の句を好んだという。俳号は海童。「水中花何想う水の中」という、どこかしら自分をイメージしているような句もある。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


July 2672011

 幽霊坂に立ちて汗拭く巨漢かな

                           福永法弘

漢に「おとこ」とルビあり。日本中の地名が合併統合などによって整理され、分りやすさ重視のそっけない名前に変更されているなか、東京にある多くの坂には昔の面影を偲ばせる名が残されている。掲句は神田淡路町の幽霊坂で「昼でも鬱蒼と木が茂って、いかにも幽霊が出そうだから」と由来される。そこに立つ汗まみれの大男は実像そのものでありながら、坂の名によってどこか現実離れした違和感を刻印する。ほかにも、文京区には「やかんのような化け物が転がり出た」という夜寒坂や、「あまりに狭く鼠でなくては上り降りができない」鼠坂など、車が行き来する道路の隙間に置き去りにされたような坂道が残されている。もっとでこぼこして、野犬がそぞろ歩き、日が落ちればたちまち人の顔も見分けられないほど暗くなっていた頃の東京(江戸)も、おおかたは今と同じ道筋を保ち、町がかたち作られていた。今も昔も、人々は流れる汗を拭いながら、この坂を上り降りしていたのかと思うと、ひとつひとつの坂が愛おしく感じられる。掲句が所収される『千葉・東京俳句散歩』(2011)は、北海道、鹿児島に続いて作者の3冊目となる俳句とエッセイのシリーズである。東京23区、千葉54市町村のそれぞれの横顔が俳句とともにつづられている。(土肥あき子)


July 2572011

 老犬の目覚めて犬に戻りゆく

                           菊池麻美

んだ途端に、人間にも通じるなと思った。仔犬や若い犬は、寝ているときも犬そのものだ。犬としか見えない。だが老いた犬の場合には、まさか他のものと見間違うほどではないにしても、精気が感じられないので、ボロ屑のようにも思えてしまう。それが目覚めてのそりと起き上がり、動きはじめると、だんだん本来の犬としての姿に戻っていくと言うのである。この姿の移り行きは、人間の老いた姿にも共通しているようで、もはや私も他人のことは言えないけれど、多くの老人の昼寝のあとのそれと似ている気がする。実際、たとえば九十歳を過ぎたころからの父の昼寝姿を見ていたころには、あまり生きている人とは映らなかった。ボロ屑のようだとは言わないにしても、精気のない人の寝姿はいたましい。半分くらいは「物」のようにしか見えないのだ。それが起き上がってくると、徐々に人間らしくなってきて安心できた。この句、作者は犬に託して人間のさまを言いたかったのかもしれない。俳誌「鬼」(26号・2011)所載。(清水哲男)




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