東京の小中学生は今日が終業式。愉しい夏休みでありますように。(哲




2011ソスN7ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 2072011

 あたご火のかはらけなげや伊丹坂

                           井原西鶴

の攝津地方には、各地に愛宕神社(火伏せの神)があったという。そのなかの一つの愛宕神社まで、人々は万灯を点して参詣する、その灯の光を伊丹坂から詠んだものだろうとここは解釈したい。「あたご(愛宕)火」は七月二十四日夜に行われる投げ松明の行事である。そして「かはらけなげ」は、京都にある愛宕山での「かはらけ(土器)投げ」の遊びを踏まえている。落語の名作「愛宕山」は、ある大家の旦那が芸者・幇間を引き連れて愛宕山へ遊興するという、まさに春風駘蕩といった噺で、最後には旦那が土器のかわりに本物の小判を何枚も谷底へ投げて、幇間の一八をからかうというもの。上方落語では京都の愛宕山、東京落語では東京の愛宕山が舞台になることが多い。ところで、掲句の「かはらけ」と「伊丹坂」の間にも関連があって、伊丹の名酒「諸白(もろはく)」を、かはらけ(土器)で飲むという連想がここで働いているようだ。広大なパースペクティブをつくり出している句である。西鶴は十五歳のころから俳諧をたしなみ、のち談林風の雄となった。一昼夜独吟二万三千五百句を興行したこともよく知られている。晩年の句に「大晦日定めなき世のさだめ哉」がある。『西鶴全句集』(2008)所収。(八木忠栄)


July 1972011

 蝉しぐれ丹念に選る子安石

                           苑 実耶

州の宇美八幡宮は「宇美=産み」ということで安産の神社で、境内には囲いのなかに氏名を記した手のひらほどの子安石が積まれている。立て札には「安産をお祈りの方はこの石を預かりて帰り、目出度くご出産の後、別の石にお子様の住所、氏名、生年月日をお書きのうえ、前の石と共にお納めくださって成長をお祈りされる習慣となっております」と書かれ、参拝者が自由に持ち帰ることができる。個人情報重視の昨今の時勢からすれば、まったく言語道断ともいえるものかもしれないが、無事生まれてきた赤ちゃんが、これから生まれてくるお腹の赤ちゃんを見守り、引率してくれるという赤ちゃん同士のネットワークのような考え方に感嘆する。また全国の安産祈願のなかには、短くなったロウソクを分けるという習慣もあることを聞いた。火が灯る短い間にお産が済むようにという願いからだという。このような全国に分布するさまざまな安産をめぐる習わしには、出産が生死を分かつ大仕事という背景がある。何十何百の怒鳴りつけるような蝉の鳴き声がこの世の象徴のようでもあり、灼熱の太陽に灼かれた石のより良さそうなものを選る人間らしい健気な仕草を笑う天の声のようにも思える。〈ひとなでの赤子の髪を洗ひけり〉〈泣けば済むさうはいかない葱坊主〉『大河』(2011)所収。(土肥あき子)


July 1872011

 何もなく死は夕焼に諸手つく

                           河原枇杷男

際、死には何もない。かつて物理学者の武谷三男が亡くなったとき、哲学者の黒田寛一が「同志・武谷三男は物質に還った」という書き出しの追悼文を書いた。唯物論者が死のことを「物質に還る」と言うのは普通のことだが、追悼文でそう書かれてあるのははじめて見たので、印象に残っている。そのように、死には何もないと私も思うけれども、自分が死ぬときに意識があるとすれば、何もないとすっぱり思えるかどうか、ときどき不安になることもある。句の作者は唯物論者ではなさそうで、だから西方浄土の方向に輝く夕焼けに埋没していくしかないと、死を冷静にとらえてみせているのだろう。ここには厳密に言えば、何もないのではなくて、夕焼けに抒情する心だけはある。何もないと言いながらも、やはりなおどこかに何かを求めている心があるということだ。すぱっと物質に還るとは思い切れない人の心の惑いというもののありかを、句の本意からは外れてしまうが、つよく思わされた句であった。『昭和俳句選集』(1977)所載。(清水哲男)




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