子どもの頃願い事は書かなかった。単に「七夕」とか「星」とか。(哲




2011ソスN7ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0772011

 帰省地へ星降る河を渡りけり

                           花谷 清

キペディアの情報によると、7月は国土交通省が決めた河川愛護月間だそうだ。7月7日の七夕のイメージから決められのだろう。歳時記では七夕は秋の季語に入っているが、小学校や幼稚園ではこの日に短冊に願い事をかいて笹につるすのが恒例だった。今でも7月7日になると今夜は星が見えるかな、と天気が気になる。掲句の「星降る河」にはゴッホの絵のように満天の星灯りが川面に突き刺さっているかもしれない。その河を渡りきったら懐かしい故郷の土地だ。故郷の家では草取りや家の修理だの、といった雑用が待っていてゆっくりできないかもしれないが、帰省地へ着く直前の待ち遠しいような、懐かしいような気持ちはよくわかる。あの道、あの橋を渡ってもうすぐ家にたどり着く。その心持ちは一年に一度の逢瀬と似ている気がする。『森は聖堂』(2011)所収。(三宅やよい)


July 0672011

 病み臥すや梅雨の満月胸の上

                           結城昌治

雨の晴れ間にのぼった満月を、病床から窓越しに発見した驚きだろうか、あるいは、梅雨明けが近い時季にのぼった満月に驚いたのだろうか。いずれにせよ梅雨のせいでしばらく塞いでいた気持ちが、満月によってパッと息を吹き返したように感じられる。しかも病床にあって、仰向けで見ている窓の彼方に出た満月を眺めている。しばし病いを忘れている。病人は胸をはだけているわけではあるまいが、痩せた胸の上に満月が位置しているように遠く眺められる。満月を気分よくとらえ、今夜は心も癒されているのだろう。清瀬の病院で療養していた昌治は石田波郷によって俳句に目覚め、のめりこんで行った。肺を病み、心臓を病んだ昌治には病中吟が多い。句集は二冊刊行しているし、俳句への造詣も深かったことは知られている。仲間と「口なし句会」を結成もした。「俳句は難解な小理屈をひねくりまわすよりも、下手でかまわない。楽しむことのほうが大事だ」と語っていた。掲句と同じ年の作に「柿食ふやすでに至福の余生かも」がある。波郷の梅雨の句に「梅雨の蝶妻来つつあるやもしれず」がある。第一句集『歳月』(1979)所収。(八木忠栄)


July 0572011

 いま汲みし水にさざなみ黒揚羽

                           今井 豊

んだ水がしばらく揺らめいている様子は、「もぎたて」「捕りたて」のような生きものめいた艶めきがある。目の前にある水が立てる生き生きとしたさざなみを見つめ、その小さな波頭に思いを寄せている。ざわめく気持ちがいずれは落ち着くことが分っている、なだめるような視線である。小さな水面のさざ波は、やがて穏やかな一枚の滑らかな水のおもてになるはずだ。一方、確かに生きているにも関わらず、黒揚羽の美しさはどこかつくりものめいている。さらに「バタフライ効果」といわれる「ブラジルでの蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす」という予測可能説が頭をよぎり、その静かな羽ばたきによってもたらされる吉凶の予感が、見る者の胸をざわつかせる。予言者めいた黒揚羽が、汲んだ水を持つ者の手をいつまでも震わせ、さざなみ立てているのかもしれない。〈せりなずな生はさみどり死はみどり〉〈もてあます時間崩るる雲の峰〉『草魂』(2011)所収。(土肥あき子)




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