スイカを食べたいと思うけれど、炎天下提げて帰る元気がない。(哲




2011ソスN7ソスソス5ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0572011

 いま汲みし水にさざなみ黒揚羽

                           今井 豊

んだ水がしばらく揺らめいている様子は、「もぎたて」「捕りたて」のような生きものめいた艶めきがある。目の前にある水が立てる生き生きとしたさざなみを見つめ、その小さな波頭に思いを寄せている。ざわめく気持ちがいずれは落ち着くことが分っている、なだめるような視線である。小さな水面のさざ波は、やがて穏やかな一枚の滑らかな水のおもてになるはずだ。一方、確かに生きているにも関わらず、黒揚羽の美しさはどこかつくりものめいている。さらに「バタフライ効果」といわれる「ブラジルでの蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす」という予測可能説が頭をよぎり、その静かな羽ばたきによってもたらされる吉凶の予感が、見る者の胸をざわつかせる。予言者めいた黒揚羽が、汲んだ水を持つ者の手をいつまでも震わせ、さざなみ立てているのかもしれない。〈せりなずな生はさみどり死はみどり〉〈もてあます時間崩るる雲の峰〉『草魂』(2011)所収。(土肥あき子)


July 0472011

 炎天の段差に落ちてなほ歩む

                           眉村 卓

にだって、段差を踏み外した経験はあるだろう。でも、足腰の柔軟な若い頃には、踏み外してもさして気にもならない。すぐに立ち直れる。それを句では「段差に落ちて」と表現しているから、かなり足腰への衝撃があったものと読める。つまり、高齢者の実感が詠まれている。ましてや、それでなくとも暑くて歩きづらい炎天下だ。「しまった」と思ったときには、もう遅い。膝や腰に受けた衝撃でよろめき、辛うじて転倒は免れたものの、しばらくは体勢を立て直すべくその場にじっとしている羽目になる。その程度のことでは誰も手を貸してはくれないし、みんなすいすいと追い抜いてゆく。つくづく若さが羨しいのはこういうときで、作者はおそらく目ばかりカッと前方を見つめたまま、またそろりそろりと歩きはじめたのだ。こうなるともう、当人にはただ歩くことだけが自己目的となり、出かけてきた目的などは意識の外になってしまう。「なほ歩む」の五音が、そのことを雄弁に物語っている。作者はSF作家。『金子兜太の俳句塾』(2011)所載。(清水哲男)


July 0372011

 金魚玉金魚をふつと消す角度

                           辻田克巳

魚玉というのは金魚鉢のことです。ガラスの球形なのだから玉といったのでしょうが、球形は球形でも、上の方は開いていて、フリルのような形にガラスが波打っています。たいていはその波に、赤や青の線が描かれていて、子どもの頃には飽きずに中を覗き込んでいました。どうしてあんなに時間があったのだろうと、不思議になるほどに、ボーっとして金魚を見つめていました。それで何かを学んだかというと、そんなことはなく、ただ意味もなく暇をつぶしていただけなのです。おとなになって、会社勤めを始めてしまってからは、目的もなく何かをじっと見つめている時間なんて、なくなりました。ただただあわただしく、追われるように一日を過ごしています。ふっと消えてしまった大切なものは、あの頃見つめていた金魚玉の中の金魚と、あと何だったかと、考えてしまいます。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)




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