暑さ故の疲れも、なんとなく若い頃とは違う感じ。慢性疲労也。(哲




2011ソスN7ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0372011

 金魚玉金魚をふつと消す角度

                           辻田克巳

魚玉というのは金魚鉢のことです。ガラスの球形なのだから玉といったのでしょうが、球形は球形でも、上の方は開いていて、フリルのような形にガラスが波打っています。たいていはその波に、赤や青の線が描かれていて、子どもの頃には飽きずに中を覗き込んでいました。どうしてあんなに時間があったのだろうと、不思議になるほどに、ボーっとして金魚を見つめていました。それで何かを学んだかというと、そんなことはなく、ただ意味もなく暇をつぶしていただけなのです。おとなになって、会社勤めを始めてしまってからは、目的もなく何かをじっと見つめている時間なんて、なくなりました。ただただあわただしく、追われるように一日を過ごしています。ふっと消えてしまった大切なものは、あの頃見つめていた金魚玉の中の金魚と、あと何だったかと、考えてしまいます。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)


July 0272011

 夕青田見てゐる父のやうな人

                           本宮哲郎

や山を一面の水に映していた植田から青田へ、日一日と育ってゆく苗を、朝な夕な畦に立って見るのだろう。今、夕風は青田風となって、作者の視線の先に立つ人を包んでいる。〈農継いで六十年目種を蒔く〉。作者の御尊父が亡くなられたのが昭和六十三年、この句が詠まれたのは平成十二年。句集のあとがきに「亡くなってから、むしろ父母への思いが深まり、俳句の原風景もふくらんでまいりました」とある。青田に立つ人の後ろ姿は、共に過ごした日々の記憶の断片がふと目の前に現れたようで、亡き人への思いはまた深くなるのだろう。『伊夜日子』(2006)所収。(今井肖子)


July 0172011

 石斧出て峡の青田の浮上せり

                           石井野洲子

斧が出土したというニュースが流れたとたんに、あたりの山間の青田がぐっと浮き上がって見えて来たという句。自分の住む地が古代からひらけていたという証の発見があるとその地の人は喜ぶ。観光地としての発展を喜ぶのは一部の人。多くはそういう伝統ある地に生まれ育った自分を血を受け継ぐ存在として誇りに思うのだ。北京原人の骨が出て中国が喜び、アウストラロピテクス(猿人)の骨が出てエチオピアが狂気する。伝統への誇りはどこかで正系といった意識と結びついてナショナリズムに行ったりするんだろうな。石斧出土から新しいドラマが始まるかもしれない。『月山筍』(2011)所収。(今井 聖)




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