地デジ対応テレビを用意しなければと思いつつ、まだ未対応也。(哲




2011ソスN7ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 0272011

 夕青田見てゐる父のやうな人

                           本宮哲郎

や山を一面の水に映していた植田から青田へ、日一日と育ってゆく苗を、朝な夕な畦に立って見るのだろう。今、夕風は青田風となって、作者の視線の先に立つ人を包んでいる。〈農継いで六十年目種を蒔く〉。作者の御尊父が亡くなられたのが昭和六十三年、この句が詠まれたのは平成十二年。句集のあとがきに「亡くなってから、むしろ父母への思いが深まり、俳句の原風景もふくらんでまいりました」とある。青田に立つ人の後ろ姿は、共に過ごした日々の記憶の断片がふと目の前に現れたようで、亡き人への思いはまた深くなるのだろう。『伊夜日子』(2006)所収。(今井肖子)


July 0172011

 石斧出て峡の青田の浮上せり

                           石井野洲子

斧が出土したというニュースが流れたとたんに、あたりの山間の青田がぐっと浮き上がって見えて来たという句。自分の住む地が古代からひらけていたという証の発見があるとその地の人は喜ぶ。観光地としての発展を喜ぶのは一部の人。多くはそういう伝統ある地に生まれ育った自分を血を受け継ぐ存在として誇りに思うのだ。北京原人の骨が出て中国が喜び、アウストラロピテクス(猿人)の骨が出てエチオピアが狂気する。伝統への誇りはどこかで正系といった意識と結びついてナショナリズムに行ったりするんだろうな。石斧出土から新しいドラマが始まるかもしれない。『月山筍』(2011)所収。(今井 聖)


June 3062011

 七月の天気雨から姉の出て

                           あざ蓉子

めじめした梅雨が去ると天気予報に「晴れ」マークの続く本格的な夏の訪れとなる。明日から七月。この夏、東京は15パーセントの削減目標で節電を実施することになっている。昨年の酷暑を思うと本格的な夏の訪れが恐ろしい。どうか手加減してください。と、」空に向かって祈りたい気持ちになる。「天気雨」は日が照っているのに細かい雨が降る現象。沖縄県鳩間島では「天泣」という言葉もあるらしい。仰ぐ空に雲らしきものは見えないのに雨が降る不思議、七月の明るい陽射しに細かい雨脚がきらきらと光っている。その天気雨の中から姉が出てくるのだろうか。「キツネの嫁入り」という天気雨の別の呼称が立ちあがってくるせいか、白い横顔をちらと見せる女の姿が思われる。天気雨が通過するたび遠くへ去った姉の面影が帰ってくるのかもしれない。『天気雨』(2010)所収。(三宅やよい)




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