七月だ。カレンダーには雲の峯。梅雨明けが待ち遠しい。(哲




2011N71句(前日までの二句を含む)

July 0172011

 石斧出て峡の青田の浮上せり

                           石井野洲子

斧が出土したというニュースが流れたとたんに、あたりの山間の青田がぐっと浮き上がって見えて来たという句。自分の住む地が古代からひらけていたという証の発見があるとその地の人は喜ぶ。観光地としての発展を喜ぶのは一部の人。多くはそういう伝統ある地に生まれ育った自分を血を受け継ぐ存在として誇りに思うのだ。北京原人の骨が出て中国が喜び、アウストラロピテクス(猿人)の骨が出てエチオピアが狂気する。伝統への誇りはどこかで正系といった意識と結びついてナショナリズムに行ったりするんだろうな。石斧出土から新しいドラマが始まるかもしれない。『月山筍』(2011)所収。(今井 聖)


June 3062011

 七月の天気雨から姉の出て

                           あざ蓉子

めじめした梅雨が去ると天気予報に「晴れ」マークの続く本格的な夏の訪れとなる。明日から七月。この夏、東京は15パーセントの削減目標で節電を実施することになっている。昨年の酷暑を思うと本格的な夏の訪れが恐ろしい。どうか手加減してください。と、」空に向かって祈りたい気持ちになる。「天気雨」は日が照っているのに細かい雨が降る現象。沖縄県鳩間島では「天泣」という言葉もあるらしい。仰ぐ空に雲らしきものは見えないのに雨が降る不思議、七月の明るい陽射しに細かい雨脚がきらきらと光っている。その天気雨の中から姉が出てくるのだろうか。「キツネの嫁入り」という天気雨の別の呼称が立ちあがってくるせいか、白い横顔をちらと見せる女の姿が思われる。天気雨が通過するたび遠くへ去った姉の面影が帰ってくるのかもしれない。『天気雨』(2010)所収。(三宅やよい)


June 2962011

 すいすいとモーツアルトにみづすまし

                           江夏 豊

神、南海、広島、他のチームで活躍したあの往年の豪腕の名投手・江夏が俳句を作ったことに、まず驚かされてしまう(シツレイ!)。さらに「モーツアルト」と「みづすまし」のとんでもない取り合わせにも驚かされる。新鮮である。ここで流れているモーツアルトの名曲は何であろう? おそらく「すいすい」という軽快さを感じさせる曲であろうかと思われる。同時に、水面をすいすい走るみづすましの動きにもダブらせている。まさかみづすましがモーツアルトの曲に合わせて滑走しているわけではあるまい。並列されたモーツアルトもみづすましも、ビックリといったところであろう。さすが名投手、バッターが予測もしなかったみごとな好球を投げこんできた。みづすまし(水馬)は「あめんばう」とも呼ばれてきたけれども、学問的に正しくは「まひまひ(鼓虫)」のことをさすのだという。水面を馬が駆けるように四足で滑走するところから「水馬」。この頃は見かけなくなった……というか、当方が池や小川の水面をじっくり覗きこむことが少なくなってしまった、と言うべきか? 「打ちあけてあとの淋しき水馬」(みどり女)、「みづすまし味方といふは散り易き」(狩行)などがある。『命の一句』(2008)所載。(八木忠栄)




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