夏至。人間の営みなどどこ吹く風と時は正確に季節を刻んでゆく。(哲




2011ソスN6ソスソス22ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 2262011

 川面吹き青田吹き風袖にみつ

                           平塚らいてう

性解放運動家らいてう(雷鳥)は、戦時中、茨城県取手に疎開していた。慣れない農作業に明け暮れながら、日記に俳句を書きつけていたという。小貝川が利根川に流れこむ農村地帯だったというから、いずれかの川の「川面」であろう。見渡すかぎりの田園地帯を風は吹きわたり、稲は青々と育っている。いかにも男顔負けの闘士の面目躍如、といった力強い句ではないか。疎開隠棲中の身とはいえ、袖に風を満たして毅然として立つ女史の姿が見えてくる。「風袖にみつ」にらいてうの意志というか姿勢がこめられている。虚子の句「春風や闘志いだきて丘に立つ」が連想される。らいてうが掲句と同じ土地で作った句に「筑波までつづく青田の広さかな」がある。さすがにこせこせしてはいない。らいてうが姉の影響で俳句を作りはじめたのは二十三歳の頃で、「日本及日本人」の俳壇(選者:内藤鳴雪)に投句し、何句か入選していたらしい。自ら創刊した「青鞜」にも俳句を発表していたようだ。戦後は「風花」(主宰:中村汀女)の句会に参加した。他に「相模大野おほふばかりの鰯雲」という壮大な句もある。『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


June 2162011

 夏至の日の水平線のかなたかな

                           陽美保子

日は夏至。北半球では一年で一番日の長い日である。日本ではたまたま梅雨のさなかに訪れるので実感は乏しいが、北欧では夏至(ミッドサマー)はクリスマスと同じくらい大切にされている。夏至祭のシンボル「メイポール」は白樺の葉とさまざまな花で覆われ、美しい民族衣装に身を包んだ男女がポールの周りを輪になって歌い踊る。最近知った「FIKA(フィーカ)」なる言葉は、スウェーデン語でティーブレイクを意味する。スウェーデンに本社を持つ企業では、夏至のためのFIKAが取られるという。遠く離れた異国の文化に胸を打たれるのは、太陽を寿ぐという生きものとしての源に深く共感するからだろう。沈まない太陽が地平線を流れるように移動する北欧の夏至の日を思えば、掲句の水平線がまだ見ぬ国を思わせる。そして、太陽は今日も地球のすみずみまであまねく光りを行き渡らせる。〈まつすぐに足の伸びたる裸かな〉〈かたつむり殻を覗けばをりにけり〉『遥かなる水』(2011)所収。(土肥あき子)


June 2062011

 天井扇ゆっくりリリー・マルレーン

                           花谷 清

本の情景ではないだろう。「リリー・マルレーン」は、もう七十年ほども前のドイツのヒット曲。兵営の門の前にある街灯の下で、恋人に逢いたいという兵士の気持ちがこめられた歌だ。これを第二次世界大戦の欧州戦線でドイツ軍が謀略放送で毎日定期的に流したところ、相手側のイギリス軍兵士にも大きな人気を呼び、あわてた英軍司令部が聞くことを禁じたというエピソードが残っている。作者はこれを、ヨーロッパのどこかの古びたレストランのような店で耳にしたのだろう。昔の若き兵士たちの純情をいやが上にも盛り上げる甘やかでどこか寂しいメロディーが、天井でゆっくり回っている扇風機の無機的な回転音とないまぜになったとき、心に浮かんでくるのは戦争の限りない空しさであろうか。私も若いときに、この歌をミュンヘンの古いレストランで楽士に弾いてもらったことがある。つわものどもの夢の歌。思いはやはり戦争の無情であり、無常であった。この曲を聴きたい方は、ここをクリックしてください。1939年版とあるので、おそらくこれがオリジナル曲でしょう。『森は聖堂』(2011)所収。(清水哲男)




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