June 192011
アロハ着てパスポートどのポケットへ
山崎ひさを
この句は、パスポートをどのポケットへ入れたらよいのか迷っているということのようです。海外のリゾート地に到着してすぐに、とにかくアロハシャツに着替えたものの、薄い生地の胸ポケットは、何を入れてもだらしなく下がってしまいます。とはいうものの、このだらしのなさが避暑地に来た目的でもあるわけです。たしかに、海外旅行をしていると、なにか失くしていないかと、四六時中探し物をしているような気分になります。出入国の手続きをしている時でさえ、あれはどのポケットに入れただろうか、これはさっきまでこのポケットに入っていたはずだがと、次々にものを探しているようです。アロハを着ているわけだから、それほどたくさんのポケットがついているわけでもないのに、いざ必要となったその時には、パスポートを探すために大騒ぎで両手は、ポケットの底を探し回ります。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)
June 182011
紫陽花に置いたる五指の沈みけり
川崎展宏
空梅雨の年は紫陽花が気の毒なほどちぢれてしまうことがある。雨の多い今年は形よく色もみずみずしく、特に水をたたえたような深い青が際立っている。遠目にはこんもりと球のように見える紫陽花。作者が近づくとちょうど目の高さほどの木に、大ぶりの毬がたくさん揺れている。どこか親しさのあるその毬にそっと触れると、ただ包みこんだだけで、細かな花の隙間に五指が沈む。わずかな驚きと少し濡れたかもしれない指先に残る感触は、目の前の紫陽花をより生き生きと感じさせている。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)
June 172011
春水をたたけばいたく窪むなり
高浜虚子
この句とか同じ虚子の「大根を水くしやくしやにして洗ふ」などの機智はまさに今流行のそれ。虚子信奉の現代の「若手」が好んで用いる傾向である。窪むはずもない液体が窪んでいるという、液体を個体のように言う見立て。くしゃくしゃになるはずもない水をそう見立てる同類の機智。同じような仕立ての句を見たら、あ、この発想は虚子パターンだろと言ってやるのだ。虚子の発想の範囲を学びその埒の中で作り、自作の典拠としての虚子的なるものの数を誇る。そのままだと俳句は永遠に虚子から出られない。バイブルの方には責任はない。学ぶ側の志の問題だ。『五百五十句』(1943)所収。(今井 聖)
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