June 172011
春水をたたけばいたく窪むなり
高浜虚子
この句とか同じ虚子の「大根を水くしやくしやにして洗ふ」などの機智はまさに今流行のそれ。虚子信奉の現代の「若手」が好んで用いる傾向である。窪むはずもない液体が窪んでいるという、液体を個体のように言う見立て。くしゃくしゃになるはずもない水をそう見立てる同類の機智。同じような仕立ての句を見たら、あ、この発想は虚子パターンだろと言ってやるのだ。虚子の発想の範囲を学びその埒の中で作り、自作の典拠としての虚子的なるものの数を誇る。そのままだと俳句は永遠に虚子から出られない。バイブルの方には責任はない。学ぶ側の志の問題だ。『五百五十句』(1943)所収。(今井 聖)
June 162011
四国とは背伸びの子象風すずし
橋本 直
日本地図の四国のかたちをじっと見る。細長く伸びる佐田岬が子象の鼻だとすれば、三角にとんがった足摺岬と室戸岬が前脚と後脚にあたるのだろうか。物を別なものになぞらえる見立ては俳句ではあまり好かれないようだ。「四国とは」の「とは」も説明的だと言われそうだ。だけど見立ては決まりきった見方を切り崩し新鮮な側面を描き出す手法でもある。この句の場合、「背伸びの子象」という表現に託された四国は愛らしく微笑ましい。せいいっぱい身体を伸ばす子象に吹きわたる風。この句を読んで四国を思うと水色の海に囲まれた島が夢ある土地に思えてくる。『水の星』(2011)所載。(三宅やよい)
June 152011
逃げる子を夕立すでに追い抜きぬ
清水 昶
昶は去る五月三十日に心筋梗塞で急逝してしまった。残念でならない。からだの不調がつづいて、隔月に吉祥寺で開催している余白句会に、近年は投句も出席もかなわなくなってしまっていた。それまでは句会では言いたいことを言って、笑わせたり顰蹙を買ったりしていた。自分の俳句のすばらしさを言って、座を妙に盛りあげてくれたっけ。そしてマイペースで徳利の日本酒をチビチビゆっくり干していた姿が、懐かしく回想される。なぜか憎めない男でした。淋しいなあ。掲句は、遊んでいた子どもたちが、急に降り出して迫ってきた夕立から逃げようとワイワイ走り出したのだろうが、たちまち容赦ない夕立に追いつかれ、追い抜かれてしまった。頭上ではカミナリも子どもたちを容赦なく脅かしているにちがいない。子どもにとってびしょ濡れはうれしいのだ。私にも子どもの頃、そんな経験が何回もあって、ずぶ濡れの子ども同士やんやと盛りあがっていたものだった。この句は実景というよりも、昶は子どもの頃の経験を思い出して詠んだのではないだろうか。ウェブ「新俳句航海日誌」では厖大な句を量産していた。他に「釣竿を肩に蚯蚓掘る少年期」(「少年期」が好きな男でした)、「大寒の真水のごとく友逝けり」など。「友逝けり」どころか自分があっさりと逝ってしまった。合掌。「OLD STATION」12号(2003)所載。(八木忠栄)
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