樺美智子が斃れて51年。六十年安保闘争を知る人も減りつつある。(哲




2011ソスN6ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1562011

 逃げる子を夕立すでに追い抜きぬ

                           清水 昶

は去る五月三十日に心筋梗塞で急逝してしまった。残念でならない。からだの不調がつづいて、隔月に吉祥寺で開催している余白句会に、近年は投句も出席もかなわなくなってしまっていた。それまでは句会では言いたいことを言って、笑わせたり顰蹙を買ったりしていた。自分の俳句のすばらしさを言って、座を妙に盛りあげてくれたっけ。そしてマイペースで徳利の日本酒をチビチビゆっくり干していた姿が、懐かしく回想される。なぜか憎めない男でした。淋しいなあ。掲句は、遊んでいた子どもたちが、急に降り出して迫ってきた夕立から逃げようとワイワイ走り出したのだろうが、たちまち容赦ない夕立に追いつかれ、追い抜かれてしまった。頭上ではカミナリも子どもたちを容赦なく脅かしているにちがいない。子どもにとってびしょ濡れはうれしいのだ。私にも子どもの頃、そんな経験が何回もあって、ずぶ濡れの子ども同士やんやと盛りあがっていたものだった。この句は実景というよりも、昶は子どもの頃の経験を思い出して詠んだのではないだろうか。ウェブ「新俳句航海日誌」では厖大な句を量産していた。他に「釣竿を肩に蚯蚓掘る少年期」(「少年期」が好きな男でした)、「大寒の真水のごとく友逝けり」など。「友逝けり」どころか自分があっさりと逝ってしまった。合掌。「OLD STATION」12号(2003)所載。(八木忠栄)


June 1462011

 眺めよき死地から死地へ青嵐

                           宇多喜代子

地とは戦場かもしれず、また天災によって傷つけられた土地かもしれない。「眺めよき」とは甚だ物騒な表現だが、一切が空(くう)となった地をどのように表現しようかという苦悩が作者のなかにはあったはずだ。その思いが胸に巣食ったまま、本書のあとがきにたどりつけば、そこには「振り返れば一句の背後、消した百語千語や、時のひろがり、おもいの深みが蘇えってきます」と書かれていた。そこであらためて掲句を振り返れば、書かれては消された幾百の文字が、作者の祈りとなって渦巻きながらにじみ出ているように思えてきた。今はここに残された17音に、ただただ目を凝らし、人間と自然の姿に思いを馳せる。〈八月の赤子はいまも宙を蹴る〉〈かぶとむし地球を損なわずに歩く〉『記憶』(2011)所収。(土肥あき子)


June 1362011

 じやがいもの咲いて讀本文字大き

                           山口昭男

者は昭和三十年生まれ。したがって戦前の教科書である「讀本」を、実際に教室で勉強したわけではない。資料調べなどのために、図書館ででも閲覧したのだろうか。書かれているように、戦前の初等科の國語讀本は文字が大きく、「ハナ ハト マメ マス」などと印刷されていた。ちなみに、私が習った国民学校一年生の讀本は「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」ではじまっていた。ずいぶん大きな文字だったんだな。と作者は感じ入っているうちに、だんだん往時の子供たちがそれを声をだして読んでいる光景に思いが至り、なんだか自分がその子たちのひとりになったような気がしてきた。折りから、窓外は馬鈴薯の花の季節だ。薄紫の花々が遠くに霞むように咲いており、元気に讀本を読む自分の姿が懐かしく思い出されてくるようである。実際に体験したこともない世界をこのように懐かしく思うことは、誰にでも起きることだろう。文字の力、文学の力とは、こういうものである。『讀本』(2011)所収。(清水哲男)




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