傘をさした自転車の主婦が歩道を疾走してくる。怖いなあ。(哲




2011ソスN6ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1262011

 夏服や弟といふ愚かもの

                           石塚友二

たしには4人の姉がいました。親戚の集まりがある時には「松下の家は、女はしっかりしているが、男は頼りない」と言われてきました。子供の頃はともかく、いったんそのような印象がついてしまうと、こちらが老齢になっても、ずっと同じことを言われ続けています。おそらくこの句に出てくる弟も、世間から見たら特別に愚かだというわけでもないのでしょう。ただ、兄や姉から見た弟というものは、とかく愚かに見えてしまうと解釈した方がよいようです。それでも「愚か者」の言葉に含まれた愛情は、容易に感じることができます。男の夏服と言えば、せいぜい長袖が半袖のシャツに変るくらいで、季節が変わったからといって、さしてぱっとしません。無防備に半袖から伸びた腕も、頼りなげに見えている要因のひとつなのかもしれません。兄や姉という存在の深い愛情が感じられて、それからちょっとおかしくて、こういう句、とても好きです。『新日本大歳時記』(2000・講談社) 所載。(松下育男)


June 1162011

 欠けて行く力を溜めて梅雨満月

                           関根誠子

雨入り前、朝のベランダでうすい下弦の月が新樹の風に消えてゆくのを日ごと眺めていた。色を深める木々の力強さと、どんどん細くなる月。そして朔は先週の二日、今やだいぶふくらんできた月が満ちるのは来週十六日だ。満開の桜も、散る力を溜めているように思えるけれど、梅雨満月もまた自らを削ぎ落としてゆく力を溜めている、と作者には思えたのだろうか。明るい桜に比べ、赤く濡れた梅雨満月の仄暗さはよりいっそう我が身に寄り添い、そんな月と対峙する者は、生きることやこの身が滅びること、その他もろもろの内なる思いと向き合うことになるのだろう。雨がちなこの時期、梅雨満月と出会えるかどうか。『浮力』(2011)所収。(今井肖子)


June 1062011

 晝見たる萬緑の中一戸の燈

                           島谷征良

良さんは石川桂郎の弟子。師の桂郎は私小説的な作風と風狂の生き方で知られ、征良さんもまた日常の中に人生の味わいを感じさせる作品が多い。私事に渉るが征良さんとは学生時代からの友人。関東学生俳句連盟結成などで動いた40年ほど前からのお付き合いである。当時既に桂郎門下だった彼を、僕は妙に老成した男として見ていたのだった。この度の句集の『舊雨今雨』(しょうこんう)という題は古い友と新しい友という意味らしい。彼の歳、すなわち僕らの歳がようやく彼の句風に接近してきたような気がする。昼の鬱蒼たる万緑の中の一燈も実に渋い境地と言えよう。『舊雨今雨』(2011)所収。(今井 聖)




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