六月も三分の一が経過。まもなくあの暑い暑い夏がやってくる。(哲




2011ソスN6ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 1062011

 晝見たる萬緑の中一戸の燈

                           島谷征良

良さんは石川桂郎の弟子。師の桂郎は私小説的な作風と風狂の生き方で知られ、征良さんもまた日常の中に人生の味わいを感じさせる作品が多い。私事に渉るが征良さんとは学生時代からの友人。関東学生俳句連盟結成などで動いた40年ほど前からのお付き合いである。当時既に桂郎門下だった彼を、僕は妙に老成した男として見ていたのだった。この度の句集の『舊雨今雨』(しょうこんう)という題は古い友と新しい友という意味らしい。彼の歳、すなわち僕らの歳がようやく彼の句風に接近してきたような気がする。昼の鬱蒼たる万緑の中の一燈も実に渋い境地と言えよう。『舊雨今雨』(2011)所収。(今井 聖)


June 0962011

 孔雀大虐殺百科辞書以前

                           九堂夜想

字ばかりの表記。百科事典にはあらゆる分野にわたっての知識を集めこれを五十音順に配列したものだけど、昔は応接間の書棚に学校の図書館に高級そうな背表紙がずらりと並んでいるのを目にしたものだ。思えばパソコンのない昔は何かを調べるにあたってはあの重い本を棚から引き出し、項目を追い、必要な部分を書きうつしていたわけで、百科事典と言えばずっしり持ち重りする感触が思い出される。そういえば何十年も百科事典を開いていない。百科事典のもとになる百科全書が編集されたのはフランス革命の頃らしいが、「百科辞書以前」とは、人間の知識の尺度で測れない「むかし」と言った感触が込められているのだろう。人間の繁栄以前にあった孔雀の王国が何物かに虐殺されて消滅した禍々しさが感じられる。人間もやがては思いもよらぬ生物によってその終焉が語られる時が来るだろうか。こんな神話的世界が書けるのも俳句。今更ながらに俳句の懐の深さを感じさせられる。『新撰21』(2009)所載。(三宅やよい)


June 0862011

 ほつれ毛に遊ぶ風あり青すだれ

                           竹久夢二

多き画家、独特の美人画で誰もが知っている夢二ならではの写生句。青すだれ越しの涼風が美人さんのほつれ毛にたわむれ、ひたいやうなじにもまとわりついている。いや、それは風のみならず、じつは美人さんを見つめる夢二の視線が、ほつれ毛にたわむれ遊んでいるとも言えよう。「ほつれ毛」「風」「青すだれ」――それらのデリケートな重なり具合が計算されている。「青すだれ」の語感が涼しさをたっぷりと放っている。葭やビニールなどさまざまな材料で編んだすだれがあるけれど、青竹で編んだ青すだれこそ、暑い夏なおいちばん涼しそうに感じられる。すだれはクーラーなどなかった時代の夏の風情を、日本的に演出した視覚的な家具でもあった。夢二は若い頃には社会主義青年として、平民社の荒畑寒村らと共同自炊生活を送ったこともあり、絵のほかに無季俳句の連作を発表したこともあった。いかにも夢二らしい「襟足の黒子(ほくろ)あやふし朧月」という句や、「味噌をする音に秋立つ宇治の寺」という本格的な句もある。『夢二句集』(1994)所収。(八木忠栄)




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