東京地方はまた明日から雨らしい。初夏って例年こんなだっけ。(哲




2011ソスN5ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 0952011

 父祖の地の青き嵐も売り渡す

                           関根誠子

情があって、先祖代々伝わってきた父祖の地を売却した。青葉若葉の季節で、折りから気持ちの良い風も吹いている。私にこういう経験はないけれど、土地を売却するのはなかなかに勇気のいることだろう。もう不要だからとは思っても、いざとなると愛着がいっそう増してくるからだ。父祖の土地を売るとは、単に地面を売ることではない。地面とともにそこに染みついた家の歴史や環境までをまるごと手放すことだからだ。できればこの「青い嵐」くらいはとっておきたい気持ちだけれど、むろんそうは行かない。だから、この「青い嵐も」の「も」という表現には、決心の強さといささかの逡巡の気持ちが入り交じっている。表面的にはサバサバしている感じの句だが、この「も」が作者の微妙に揺れる心持ちを表していると読んだ。『浮力』(2011)所収。(清水哲男)


May 0852011

 人々に四つ角ひろき薄暑かな

                           中村草田男

の句にどうして惹かれるかと言うと、つまるところ「ひろき」の一語なのかなと思います。うつむいて歩いていて、ふと目をあげた先に、思いもよらぬ広い交差点があった。それだけのことでも、ああ生きているなと感動できるわけです。そういえば勤め人をしているときには、電車に乗ることは、会社のある渋谷駅に向かうことでした。さて定年になり、もう会社に行かなくてもいいんだと思ったある日、駅のホームで電車を見たときに、身の震えるような「ひろさ」を感じました。逆方向にも電車は走っていて、乗りたいと思えば乗ってもかまわないのだと思ったのです。生きる喜びって、そんなに複雑なものではないのだなと、あらためて実感しました。鬱屈した日々の街角でも、ちょっと曲がった先には広々とした四つ角が待っているのだと、信じて生きてゆきたいと、思っているのです。『角川俳句大歳時記 夏』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


May 0752011

 真円の水平線や卯浪寄す

                           竹岡俊一

円の水平線、ということは、視界三百六十度見渡す限りひたすら海、大海原のど真ん中にいるのだろう。また真円は、水平線が描く弧から球体である地球を大きく感じさせ、卯浪は、初夏の風と共に尽きることなく船に向かって寄せている。それを乗り越え乗り越え、船はひたすら海をつっきて進んでいるのだ。この句は「六分儀(ろくぶんぎ)」と題された連作のうちの一句で、作者は海上自衛隊勤務という。六分儀は、天体の高度を計測する航海用の器械とのこと。掲出句の卯浪には、私達が陸から遙か沖に立っているのを眺めているのとは違った力強さがある。〈サングラス艦長席の摩り切れて〉〈登舷礼やや汚れたる白靴も〉サングラス、白靴、これらも同様に日常とは別の表情を見せていて興味深い。「花鳥諷詠」(2011・3月号)所載。(今井肖子)




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