昔のラジオ仲間と飲み会。しばし憂き世を忘れられそう。(哲




2011ソスN4ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2842011

 鷺草の鉢にサギ子と札を立て

                           榎本 享

草は花が鷺の飛ぶ姿に似ていることからこの名が付けられたという。写真で検索してみると、なるほどちっちゃな鷺が思い思いの方向へ羽根を広げて飛んでいるようで可愛らしい。鉢植えでもよく育つとあるから、花が咲いてくれますようにと願いをこめて札を立てているのだろう。「サギ子」と書くことで、鉢植えを子供のようにいとおしむ気持ちがユーモラスに表現されていて楽しい。当たり前になりがちな行為に言葉のスパイスを加えることでぽかっと風穴が開いたようだ。日々の営みに慣れ切ってしまうと感受性もついつい固くなる。単調になりがちな気分をほぐしつつふっと楽しくなる言葉や思いつきを俳句に詠む。読む側も思わず微笑んで気持ちが軽くなる。そんな明るい循環が俳句にはあるようだ。サギ子の鉢にたくさんの鷺が飛ぶといいですね。『抽斗』(2005)所収。(三宅やよい)


April 2742011

 椎若葉楓若葉も故園かな

                           円地文子

や楓にかぎらず、すがすがしい若葉の季節である。季節が生まれかわり、自然だけでなく身のまわりのものすべてが息づく季節でもある。「故園」という呼び方は古いけれど、「故郷/ふるさと」を意味する。人工的な要素がまだ加わらないままの姿が残されているふるさと、というニュアンスが感じられる。破壊の手がまだ及んでいないふるさとで、椎や楓その他がいっせいに若葉を広げつつあったのだろう。この時季、いろいろな植物の若葉が詠まれる。季語には「山若葉」「谷若葉」「森若葉」など、場所をあらわす若葉もある。また若葉の頃の天候を「若葉晴れ」とも呼ぶそうだ。文子は東京生まれで、かつて「国語学者・上田万年の次女」という紹介のされ方をよくされた時代があった。けれども、今や上田万年も遠い存在になってしまったし、女流作家・円地文子を知らない人さえ少なくない。文子が残した俳句は少ないが、女流作家のなかでも、網野菊、中里恒子、森田たま、吉屋信子たちは多くの俳句を詠んだ。なかでも、信子は本格的に俳句を作り、「ホトトギス」にも加わったことがあった。文子には他に「のびたたぬ萩のトンネル潜りいづ」がある。室生犀星の「わらんべの洟もわかばを映しけり」は忘れがたく可愛い。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


April 2642011

 ふらここの漕がれていづこにも行けず

                           小室美穂

句を読んでふと疑問に思った。ぶらんこは一生に何度漕がれているのだろうか。日都産業調べによると耐用年数は吊金具5年、吊鎖7年、座板3〜5年程度とあった。ぶらんこの命ともいえる吊鎖を寿命として7年の生涯と考えてみた。漕がれる回数は、「ノンタンぶらんこのせて」を参考にする。ノンタンの近所にある公園のぶらんこは人気があって友達がたちまち順番待ちの列を作る。ノンタンは「10まで数えたら順番かわるよ」と言うので、ひとり10回。それを順番に3度くらい並び直すとして、ひとり30回。順番待ちする顔ぶれは、ウサギ×3、クマ、ぶた、たぬき。ノンタンを含め計7名並んでいる。これを平日毎日乗って7年間で計算すると、382,200回漕がれることになる。もし、漕ぐたびに1m進んでいたとすると382kmであり。これは東京から大阪あたりまで行ける。だからどうしたと言われればそれまでだが、「漕ぐ」とは自転車でもボートでも前に進むことをいうのに、ぶらんこだけは進めないと気づいた作者の気持ちが愉快で、ちょっぴり切ない。ぶらんこは今日も進んだ分だけ戻って、もとの場所に吊られている。〈髪洗ひ上げて華奢なる鎖骨かな〉〈一生をガラスに曝し老金魚〉『そらみみ』(2011)所収。(土肥あき子)




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