夏の増俳記念会。空席が20を切りました。ご希望の方はお早めに。(哲




2011ソスN4ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2542011

 東京の石神井恋し柳の芽

                           清水淑子

春の句だ。石神井(しゃくじい・東京都練馬区)には、若い頃にしばらく住んでいたことがある。作者もそうだったのだろろう。昔もいまも、殺風景としか言いようの無い町だ。町の中心がどこなのか判然としないし、象徴的な建築物も無い。ただ漫然と住宅地が展開している町のなかで、唯一の名所と言えば石神井公園である。園内には石神井池・三宝寺池があり、井の頭池・善福寺池と並び武蔵野三大湧水池として知られている。柳の木も池畔に群生していて、芽吹きから新緑の頃の情景は文句なしに美しい。もはや遠くの地に去った作者は、近傍の芽吹きを目にして、不意に若き日の石神井公園を思い出し、ふるいつきたいような懐かしさを覚えている。何の技巧もない句だけれど、それがかえって読者にも作者の心情を直截に伝える効果をあげている。「恋し」という言葉が嫌みなく使われている。また、対象が石神井の名も無い柳だからこそ生きてくる句であり、これがたとえば有名な銀座の柳だったらこうは詠めない。『炎環 新季語選』(2003・紅書房)所載。(清水哲男)


April 2442011

 さまざまのこと思ひ出す桜かな

                           松尾芭蕉

者が松尾芭蕉なのだから、この句はずいぶん昔に詠まれたものです。それでもと、わたしは思うのです。もしかしたらこの句は、今、この年の春に読まれるために作られたのではないのかと。100人以上の震災孤児と、一万人を超す水死者という事実に、いまだにわたしの思考は止まったままです。それにしても、桜が咲いたことにこれほど無頓着だった年を、経験したことがありません。ああ咲いているなと思い、でも思いはすぐに、もっと大切なことに移ってゆきます。できることならいつの日にか、あたりまえのなんでもない春の中で、無心に桜の花を見上げたいと願うのです。『日本名句集成』(1991・学燈社)所載。(松下育男)


April 2342011

 春の風邪髪の微熱を梳る

                           淡海うたひ

こうしてキーボードを叩いている指先がひんやりしている。寒暖の差が大きいというか麗らかな日が少ない今年、風邪なのか花粉症なのかわからないと言っている知人も多い。春の風邪は、冬から春へ季節の変わり目に詠まれることが多いが、いずれにしてもいつまでもすっきりしないものだ。子供の頃から、なんとなく熱が出そうと思うと、まずぼんのくぼあたりの髪をひっぱってみる。熱が出る前は、強くひっぱらなくても引きつったような変な痛みが走るのだ。頭から風邪を引く、ということか。髪の毛自体はもちろん微熱を帯びることはないはずだけれど、首から上がうっとおしく霞がかかったような風邪心地が、ゆっくりと梳る手の動きと共に滲み出ている一句である。『危険水位』(2010)所収。(今井肖子)




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