April 242011
さまざまのこと思ひ出す桜かな
松尾芭蕉
作者が松尾芭蕉なのだから、この句はずいぶん昔に詠まれたものです。それでもと、わたしは思うのです。もしかしたらこの句は、今、この年の春に読まれるために作られたのではないのかと。100人以上の震災孤児と、一万人を超す水死者という事実に、いまだにわたしの思考は止まったままです。それにしても、桜が咲いたことにこれほど無頓着だった年を、経験したことがありません。ああ咲いているなと思い、でも思いはすぐに、もっと大切なことに移ってゆきます。できることならいつの日にか、あたりまえのなんでもない春の中で、無心に桜の花を見上げたいと願うのです。『日本名句集成』(1991・学燈社)所載。(松下育男)
April 232011
春の風邪髪の微熱を梳る
淡海うたひ
今こうしてキーボードを叩いている指先がひんやりしている。寒暖の差が大きいというか麗らかな日が少ない今年、風邪なのか花粉症なのかわからないと言っている知人も多い。春の風邪は、冬から春へ季節の変わり目に詠まれることが多いが、いずれにしてもいつまでもすっきりしないものだ。子供の頃から、なんとなく熱が出そうと思うと、まずぼんのくぼあたりの髪をひっぱってみる。熱が出る前は、強くひっぱらなくても引きつったような変な痛みが走るのだ。頭から風邪を引く、ということか。髪の毛自体はもちろん微熱を帯びることはないはずだけれど、首から上がうっとおしく霞がかかったような風邪心地が、ゆっくりと梳る手の動きと共に滲み出ている一句である。『危険水位』(2010)所収。(今井肖子)
April 222011
パチンコをして白魚の潮待ちす
波多野爽波
日常の中のあらゆる瞬間に「詩」が転がっている。「私」の個人的な事情をわがままに詠えばいいのだ。素材を選ばず、古い情緒におもねらず、「常識」に譲歩せず、そのときその瞬間の「今」を切り取ること。爽波俳句はそんなことを教えてくれる。悩んでいるとき迷っているとき、その人に会って談笑するだけで心が展けてくる。そんな人がいる。これでいいのだ、それで大丈夫だと口に出さずとも感じさせてくれる人物がいる。爽波俳句はそんな俳句だ。これでいいのだ。『骰子』(1986)所収。(今井 聖)
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