M・スティーブンス『スリーマイル・パニック』再読中。(哲




2011ソスN3ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2732011

 つまづきて春の気球の着地せり

                           福地真紀

の句を読んだあと、ああなるほどとうなずいてしまいました。気球が上空から下りてくる姿は、優雅で美しいけれども、いざ地面に着くときには、大地に無様にぶつかって、幾度か跳ね返りもするのでしょう。本当に着地をするところは、それほど見たことはありませんが、様子は容易に想像できます。その姿を人のように、「つまづいている」と見たところに、この句の発見があるのでしょう。気球という言葉が、遠くまでの青空をはるかに想像させてくれますし、つまづいた足元に、柔らかな緑の息吹を感じさせてもくれます。思いの空に、プカリプカリと気球を浮かばせていられるような一日を、生涯に幾日くらいもてれば、幸せな人生だったと言えるのでしょうか。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)


March 2632011

 烈風の辛夷の白を旗じるし

                           殿村莵絲子

しみどりがかったつめたい白が、葉よりも先に吹き出す辛夷。〈立ち並ぶ辛夷の莟行く如し〉(高濱虚子)とあるが、なぜか皆同じ方向に傾いて見えるその莟は、目的地を差しているかのようであり、日差しを集める花は空の青に映える。この時の作者には、きっと自らの運命に立ち向かっていく強い決意があったのだろう。背景を知らなくても、辛夷の眩しさに負けない作者の瞳の輝きが見えてくる。昨日、照明を落とした駅の改札を抜け、24時間営業を止めた店の前を通り、暮れかけた空に白く浮き立つ辛夷の花を仰ぎ帰宅。部屋が薄暗いことにもだんだん慣れ、今までが明るすぎたなあ、と辛夷に残る日の色を思い浮かべた。『樹下』(1976)所収。(今井肖子)


March 2532011

 雄鹿の前吾もあらあらしき息す

                           橋本多佳子

服が似合いスラリとして背が高い。今でいうとモデル体型の多佳子。恋の句に秀句の多い多佳子。彼女の句の中のこういう「女」に「天狼」の誰彼がまず瞠目したことは容易に想像できる。殊に西東三鬼などはこういう句を喜んだだろうと思う。雄鹿とあらあらしき息を吐く女性という対比で見ればこの句、性的なテーマとして読まれても無理はない。むしろそのことがこの句の価値を高めていると言ってもいい。この時代にここまで「性」を象徴化して詠った俳人はいない。否、多佳子のあとは誰もいないといってもいいほどだ。俗に堕ちないのは「あらあらしき息す」という7・3のリズムが毅然として作品の品格を立たしめていること。『紅絲』(1951)所収。(今井 聖)




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