盛り上がりそうにない都知事選。掲示板も閑散としている。(哲




2011ソスN3ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2532011

 雄鹿の前吾もあらあらしき息す

                           橋本多佳子

服が似合いスラリとして背が高い。今でいうとモデル体型の多佳子。恋の句に秀句の多い多佳子。彼女の句の中のこういう「女」に「天狼」の誰彼がまず瞠目したことは容易に想像できる。殊に西東三鬼などはこういう句を喜んだだろうと思う。雄鹿とあらあらしき息を吐く女性という対比で見ればこの句、性的なテーマとして読まれても無理はない。むしろそのことがこの句の価値を高めていると言ってもいい。この時代にここまで「性」を象徴化して詠った俳人はいない。否、多佳子のあとは誰もいないといってもいいほどだ。俗に堕ちないのは「あらあらしき息す」という7・3のリズムが毅然として作品の品格を立たしめていること。『紅絲』(1951)所収。(今井 聖)


March 2432011

 真っ青な危ない空があるばかり

                           広瀬ちえみ

載句は川柳。震災以降、福島原子力発電所の危機的状況が連日報道されている。息詰まるニュースに今まで関心を持たずに過ごしていた原子力発電がいったん制御不能に陥ればどれだけ危険かを思い知らされることになった。東京では計画停電が実施され、毎日変わる電車の運行に頭を悩ませてはいるが、おおよその生活に支障はない。それに比べ都会への電力を供給するため作られた原発の回りの人達はどれほどの恐怖と緊張にさらされていることか。災害復旧の大きな支障となっている現在の状況が一刻も早く落ち着いてくれることを祈るばかりだ。これからどんな世の中になるかわからないが、便利さに慣れ切った自分の在り方を少しずつでも変えていきたい。空は今日も晴れわたっているが、まだ、間に合うだろうか。『広瀬ちえみ集』(2005)所収。(三宅やよい)


March 2332011

 うらなりの乳房も躍る春の泥

                           榎本バソン了壱

もとの辞書によると、「うらなり」は「末生り/末成り」と書いて、「瓜などの蔓の末に実がなること。また、その実。小振りで味も落ちる」とある。「うらなり」は人で言えば顔色がすぐれず元気のない人、という意味合いもあるが、この句では「乳房」を形容していると思われる。「小振りで味も落ちる乳房」という解釈こそ、バソン了壱好みの解釈と言えそうである。春の泥は、雪が溶ける春先のぬかるみだから、いよいよ春を迎えて心がはずみ、気持ちがわくわくと躍動する時季である。豊かな乳房が躍るのは当然過ぎるけれど、「うらなりの乳房」だって躍動せずにはいられないうれしい時季であり、そこに着目したところに春到来の歓びが大きく伝わってくる。じつは春泥をよけながら、やむを得ず跳びはねているのかもしれない。近年は道路の舗装が進み、よほどの田舎道でないかぎりぬかるみに遭遇する機会は少なくなった。ところで、春泥に躍っているのは何も乳房(女性)だけではない。男性だって躍る。――「春泥に子等のちんぽこならびけり」(川端茅舎)、ほほえましい春泥の図である。バソン了壱には他に「地平線幾度書き直し冬の旅」「この狭き隙間に溢るる臓器学」などがある。『少女器』(2011)所収。(八木忠栄)




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