電力消費量を軽減するためにサマータイム制を導入しては如何。(哲




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March 2232011

 ものの種にぎればいのちひしめける

                           日野草城

眉刷毛万年青の芽
のの種とは、穀物や草花などのあらゆる種子をさす。種は、芽吹きを約束する希望のかたまりである。そっと手に乗せたのち、握りこぶしに力を込めれば、ひと粒ひと粒の種がちくちくと手のひらを刺激する。その心地よい痛みは、命の確かな存在であり、一面の実りを想像させる未来である。恐ろしいニュースが続けざまに流れるなか、パソコンの横に置いてあった眉刷毛万年青(まゆはけおもと)の種がいつの間にか発芽していた。土の上に置いた種から、臍の緒のような管が地面をまさぐるように伸び、接地面であらためて根をおろす。球根植物の神秘的な芽吹きは、不屈の精神と生への渇望を目の当たりにしているようで、健気にして頼もしく、そしてひたすら愛おしい。それは被災された多くの方々への思いにも重なり、愛すべき日常が一日も早く戻ることを、ただ祈り願うばかりである。『日野草城句集』室生幸太郎編(2001)所収。(土肥あき子)


March 2132011

 雨寒し春分の日を暮れてまで

                           篠田悌二郎

るで今日という日に詠まれたような句だ。実際、昨日の天気予報によれば、今日は全国的に雨模様である。句では朝から春雨と呼ぶのがはばかられるような冷たい雨が降り、暮れてもなお降り続いている。晴れていれば、少しくらい寒くても「春分の日」と思うだけで心和むところだが、雨降りだと逆に「春分の日」であることが恨めしくさえ思えてくる。寒さが、ひとしお身にしみる。ましてや今年は地震津波による大災害のあとだけに、いっそう暗く寂しい思いに沈み込む人は多いだろう。祝日法では「春分の日」は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」ことを趣旨としているが、今年はすべての自然を素直に「たたえる」気にもなれない。週末あたりには桜が咲きはじめる地方もあるようだが、花見どころではない人たちのことを思うと、うかれ気分にはなれそうもない。いま全国でこの句を目にしているみなさんも、おそらく同じ気持ちでおられるだろう。『現代俳句歳時記』(1989・千曲秀版社)所載。(清水哲男)


March 2032011

 ひと駅を歩いてみるか花の雨

                           矢野誠一

の原稿を書いているのは3月15日の朝です。テレビでは休みなく東北関東大震災についての報道をしています。福島原発の事故や、今なお止まない余震に、日本という国は大きな困難のさなかにあります。「文学は平和の為にあるのである」と言ったのは小林秀雄ですが、大災害の渦中にあって文学とはいったい何かと、あらためて考えさせられています。本日の句を読んで真っ先に思ったのは、3月11日の帰りに電車が止まって、仕方なく秋葉原から蒲田まで歩いたことです。できうるならば、この句のほんわかとした優しい雰囲気を、そのまま受け止められる平和な日が、早く訪れますように。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)




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