仙台の友人の安否がわからない。無事に避難していてくれますよう。(哲




2011ソスN3ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1432011

 たんぽぽや避難テントに靴そろえ

                           渡辺夏紀

作「地震百句」のうち。この句は阪神淡路大震災のとき(1995)のものだ。だいぶ以前に「きっこのブログ」で紹介されていたのを覚えていた(むろん、表記などはいま再確認した)。かつての空襲の焼け跡でもそうだったように、まだ片づいていない瓦礫の隙間から生えて咲く「たんぽぽ」は、つくづく強い花だと感心する。一見可憐とも思える花が、まことに強靭な生命力を持っているのことに勇気づけられもする。そんな花の傍らに、テントに避難している人の靴がきちんと揃えられていた。テントのなかの人の様子などはわからないけれど、どんなときにも礼節を忘れない靴の主の人柄がじわりと伝わってくる。うっかり見過ごしてしまうような小さな情景でしかないけれど、作者のおかれていたシチュエーションを想像すると、逆にこのような情景こそが大きく目に入ってくるのかもしれない。いや、きっとそうなのだと思う。この春の東北のたんぽぽはまだ咲いていないだろうが、もうしばらくすると、花も咲けば鳥も歌い出す。被災地のみなさんの、せめてもの慰めになってくれればと祈っている。百句すべてを読みたい方は、こちらからどうぞ。http://kikko.cocolog-nifty.com/kikko/2007/01/post_b0f9.html(清水哲男)


March 1332011

 天井に風船あるを知りて眠る

                           依光陽子

の句が表現しようとしているのは、どんな心情なのでしょうか。吹き抜けの、とんでもなく高い天井の部屋ならともかく、普通の家の天井なら、椅子に乗れば容易にとれるだろう風船を、どうしてそのままにして眠るのでしょうか。体を動かすのが億劫に感じるほどほどの、つらい悩みでもあるのか。あるいは、赤や黄の混じった風船の明るさを、目を閉じる直前まで見ていたいからそうしたのか。どちらにも解釈できますが、個人的にはだるい悩みに冒された人の姿が目に浮かびます。風船と言えば昔、子どもたちが小さかったころにディズニーランドへ行った時のことを思い出します。閉園の時刻まで遊んで、帰りのバスを待っている列に並んでいたときに、土産に買ったミッキーマウスの風船が僕の手から放れて、暗い上空にどこまでも上がって行きました。実に美しい上がり方でしたが、もちろん子どもたちは泣き出し、さんざんな一日の終わりになってしまったのでした。あれもひとつの天井だったかと、ふとこの句を読んで、思いました。『新日本大歳時記 春』(2000・講談社)所載。(松下育男)


March 1232011

 春曙なにすべくして目覚めけむ

                           野澤節子

まれてこの方点滴というものをしたことがない、と言ったら、野蛮人ねと言われてしまった。花粉症にもならないし、耳が動くから原始人と言われたこともあるし。確かに頑丈で丈夫が取り柄でここまできたけれど、いつかこのなんということもない日々が幸せだったのだということを、しみじみ思う時が来るんだろうな、とふと思うようになった。この句の作者は、このころ脊椎カリエスで病の床についていたという。この世のあらゆる存在に、何もできず臥せっている自分に、今日も等しく美しい夜明けが訪れ一日が始まる。白くなりゆく空の美しさと向き合いながら神に問いかけるような一句を詠むことで、作者の心は少し平らかになったのではないだろうか。けむ、にこもる心情を思いながら、そんな気がした。『未明音』(1955)所収。(今井肖子)




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