すごい揺れでしたね。被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。(哲




2011ソスN3ソスソス12ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1232011

 春曙なにすべくして目覚めけむ

                           野澤節子

まれてこの方点滴というものをしたことがない、と言ったら、野蛮人ねと言われてしまった。花粉症にもならないし、耳が動くから原始人と言われたこともあるし。確かに頑丈で丈夫が取り柄でここまできたけれど、いつかこのなんということもない日々が幸せだったのだということを、しみじみ思う時が来るんだろうな、とふと思うようになった。この句の作者は、このころ脊椎カリエスで病の床についていたという。この世のあらゆる存在に、何もできず臥せっている自分に、今日も等しく美しい夜明けが訪れ一日が始まる。白くなりゆく空の美しさと向き合いながら神に問いかけるような一句を詠むことで、作者の心は少し平らかになったのではないだろうか。けむ、にこもる心情を思いながら、そんな気がした。『未明音』(1955)所収。(今井肖子)


March 1132011

 春障子かすかに鳴りぬ放哉忌

                           石山ヨシエ

日の句は難しい。作家、俳人の場合なら、その人の一般的評価のようなものを基盤に置いてつくりがちである。太宰忌なら放蕩無頼とか、啄木忌なら石をもて追はるるごとき風情か、或いはそれを逆手にとって逆の面を強調するとか。まあ、どちらにしても、その作家に対して自分なりの個人的な評価を持った上での句はあまりない。つまり愛してやまない人物や作家に対する挨拶でないと忌日の句は成功しがたいのでないか。この句は作者が鳥取在住ということで「かすかに」が実感として生かされている。障子のところまで来ている放哉とのこの距離感は同郷を思わせるに十分である。放哉の末期の一句「春の山のうしろから煙が出だした」の季節感も踏まえられている『浅緋』(2011)所収。(今井 聖)


March 1032011

 柵ごしの地面しづもる弥生かな

                           山本紫黄

便番号簿を見ていて季題にある植物と同じ地名を見つけたのをきっかけに季題地名一覧として編集したのが、高橋龍の「郵便番号簿季題地名一覧」である。この句は郵便番号113−0032 東京都文京区弥生の例句として出されている。文京区本郷は、弥生式土器が発見された場所であり、もとになる村落という意味をこめて「本郷」と呼ばれたと聞いたことがある。掲句では、ものみな盛んに茂り始める弥生という季語と、柵越しに見える地面が抱えこむ豊かな時間とが響き合っているように思える。むかしを知る手掛かりになる大事な地名も行政の合理化のため味気ないものに統合されてしまった。東京都文京区弥生も消えかかったが、ここに住む人たちが地名を残すべく行政に抵抗して残ったという経緯があったと本書に記されている。わたしが生まれた場所もどこにでもある「中央区」になってしまったが、考えてみればもったいなかった。「郵便番号簿季題地名一覧」九有似山洞・編(2009)所収。(三宅やよい)




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