娘は二人とも人形を怖がったので、我が家には雛がありません。(哲




2011ソスN3ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 0332011

 ふと思ふ裸雛の体脂肪

                           後藤比奈夫

に添えられた作者のエッセイによると「裸雛は大阪の住吉大社で頒けて貰える、掌に乗るほどの小さな土雛。」「烏帽子をかぶっているほかは全裸。男は胡坐、女雛は膝をしっかり合わせた正坐。」とある。句の印象からするとごくごく素朴な土人形といった感じ。むっちりとした膝、まるまるとめでたく肥えたお雛さまに体脂肪を思うところが面白い。雛の由来は人形(ひとがた)であり厄災を祓い、川や海へ流されたという。美しい段飾りのお雛さまは可愛い子の未来を願い親が設えるものだろうが、掲句の裸雛はその昔「子授け雛」と呼ばれており夫婦和合を願う雛らしい。日本各地にはいろんな役目を負ったお雛さまが数多くあるのだろう。宮崎青島神社の簡素な「神ひな」は安産、病気平癒などを願い神前に供えられる。わたしも九州の日田で買ってきた小さな土雛を飾って家族の無事を願い、雛の日を楽しむことにしよう。『心の小窓』(2007)所収。(三宅やよい)


March 0232011

 カレンダーめくれば春がこんにちは

                           坂上芽衣子

生三月。さすがに寒さもゆるんで来た。寒さということで言うと、一月のカレンダーも二月のカレンダーも寒々しくて恨めしい。早々にやり過ごしたい。二月のカレンダーをめくって三月になると、誰しもホッとして心も表情もやわらいでくるだろう。どんなに豪雪の冬がつづいても、雪国にもちゃんと春はやってくる。厳しかった酷寒もやがて去って、南から北まで隈なく暖かい春が広がる。掲句は、雪国新潟の新聞による「2010年ジュニア文芸大賞」の俳句部門で大賞を受賞した俳句であり、作者は現在中学三年生。受賞の言葉の冒頭にはこうある。「2年生の時につくりました。3月を迎えて、早く3年生になって楽しいことをやりたいなあ、いっそ3月のカレンダーもめくっちゃおうかなという思いを素直に出せたと思います」。その気持ちはよくわかる。三月のカレンダーをめくって、四月になれば上級生。雪に閉じこめられていた中学生が、春を待ちわび、同時に上級生になることへの期待を、率直にこの一句にこめている。春が「やってくる」ではなく、「こんにちは」という表現にいきいきとした若さが感じられる。芽衣子さん、楽しい三年生を過ごせたかしら? 同賞の佳作には、小学六年生の「山の中かくれんぼするきのこたち」(中川果琳)という可愛い句もある。「新潟日報」(2011年2月5日)所載。(八木忠栄)


March 0132011

 啓蟄のとぐろを卷いてゐる風よ

                           島田牙城

だ冬のコートをしまいきれないが、今日から3月。そして来週には啓蟄。地底深くぬくぬくと冬ごもりしていた虫たちが土のなかから出てくるには、まだちょっと早いんじゃないの、といらぬ心配をしたくなる。それでもひと雨ごとに春の陽気となっているのはたしかで、花はその身を外気にさらしているのだから花の時期を見極めているのだろうと推量できるが、土のなかにいる虫たちはどうしてそれを知るのだろう。ちょうど今時分、今年最初の雷が鳴り、これが合図になっていたと考えられて「虫出しの雷」という言葉もあるが、まさか聞こえているとは思えず、なんとも不思議な限りである。掲句がいう風は強くあたたかな南風かもしれないが、「とぐろ」と称したことでどこか邪悪な獣めいた匂いをもった。目が覚めてのんびり土から出た蛙が、一番最初に吹かれる風がこれでないことを祈っている。〈汗のをばさん汗のおぢさんと話す〉〈土までが地球紅葉は地球を吸ふ〉〈ひるまずに降る雪さては雪の戀〉『誤植』(2011)所収。(土肥あき子)




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