今が寒さの底でしょうね。立春あたりで少し暖かくなりそう。(哲




2011ソスN1ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 3012011

 溺愛のもの皆無なり冬座敷

                           佐藤朋子

かれている内容には、どこか寂しいものがあります。確かに若いころには好き嫌いもはっきりしていました。傍からみっともなく見えても、好きになったらその思いを、がむしゃらに相手にぶつけた時期もありました。それが歳を重ねるとともに、好きも嫌いも感覚が磨耗してきて、すべてがほどほどに受け止められるようになってきます。はじめはそんな内容の句だと思っていましたが、どうもそれほど悟りきってはいないようです。仔細に見て行くと、「溺愛」も「皆無」もかなり激しい言葉です。そんなことでいいのかと、自身の心に活を入れているような厳しさが感じられます。それが冬の畳の冷たさに、うまく対応しています。せっかくこの世に生きて、なにひとつ心を奪われるものもなく過ごす日々を、われながら情けないと叱りつけているようです。年齢にかかわりなく、つねになにかに生き生きと惹かれていたいと、この句に励まされもしてきました。『生と死の歳時記』(1999・法研)所載。(松下育男)


January 2912011

 鵜の宿の庭に鵜舟や春を待つ

                           荒川あつし

の宿は川べりにあるのだろうか。春近い日と水の匂いがして、宿の庭、に人の暮らしが見え風景が親しい。宿のたたずまいとそこに静かに置かれた鵜飼舟、作者はもちろんのこと、あたりの草も木々の枝も、川や舟さえ春を待っているように思えてくる。春は空からというけれど本当だなと思うこの頃だが、待春の心持ちのしみてくる句を読みながら、学生の頃岐阜の友人の所へ遊びに行ったとき観た鵜飼を思い出す。そこだけ照らされた鵜がたてる水しぶきと川風の匂いがかすかに記憶の底にあるだけだけれど。そういえばこの時期、鵜飼の鵜はどうしているのかと思ったが、シーズン中は日々働きオフは食べて寝てのんびり過ごしているらしい。鵜はとても賢いというが、もうすこし暖かくなったらそろそろ勘を取り戻すための練習が始まるのだろう。『縁』(1979)所収。(今井肖子)


January 2812011

 春めくやわだちのなかの深轍

                           鷹羽狩行

の土に幾筋も刻まれた轍のなかに浅い轍と深い轍がある。春の土のやわらかさという季節の本意と、轍という非情緒的な物象が一句の中で調和する。また、凝視の眼差しも感じられる。轍という言葉が示す方向性に目をやって人生的なものへの暗喩に導く鑑賞もありえようが、僕はそうは取らない。あくまで轍は轍。「もの」そのもの。『十六夜』(2010)所収。(今井 聖)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます