夜明けが早くなってきましたね。あと一週間で「立春」です。(哲




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January 2812011

 春めくやわだちのなかの深轍

                           鷹羽狩行

の土に幾筋も刻まれた轍のなかに浅い轍と深い轍がある。春の土のやわらかさという季節の本意と、轍という非情緒的な物象が一句の中で調和する。また、凝視の眼差しも感じられる。轍という言葉が示す方向性に目をやって人生的なものへの暗喩に導く鑑賞もありえようが、僕はそうは取らない。あくまで轍は轍。「もの」そのもの。『十六夜』(2010)所収。(今井 聖)


January 2712011

 白髪やこれほどの雪になろうとは

                           本村弘一

髪になるのは個人差があるようで、はや三十歳過ぎから目立ちはじめる人もいれば六十、七十になっても染める必要もなく豊かに黒い髪の人もいる。加齢ばかりでなく苦労が続くと髪が白くなるとはよく言われることだけど、どうして髪が白くなるのかそのメカニズムはよくわかっていないようだ。掲句は「白髪や」で大きく切れているが、「これほどの雪」が暗い空を見上げての嘆息ともとれるし人生の来し方行く先への感慨のようにもとれる。降りしきる雪の激しさと白髪との取り合わせが近いようで、軽く通り過ぎるにはひっかかりを感じる。俳句の言葉とはすっかり忘れ果てたときに日常の底から浮上してきて読み手に働きかけるものだが、この句のフレーズにもそんな言葉の力を感じる。「ゆきのままかたまりのまま雪兎」「ひたひたと生きてとぷりと海鼠かな」『ぼうふり』(2006)所収。(三宅やよい)


January 2612011

 音もなく雪の重みにしなう竹

                           アビゲール・フリードマン

文は〈heavy with snow the bamboo bends in silence/Abigail Friedman〉。竹林にどっさり雪が降ると、竹は枝葉に積もった雪の重みでそれぞれ弧を描いてしなってしまう。なかには耐えきれずに、途中から割れて折れてしまう若い竹もある。しかし、他の樹木とちがって、竹はポッキリ折れてしまうことはない。この句で思い出すのは(私事になるが)、中学生の頃、雪がどっさり降った翌朝裏山の竹林に行って、雪の重みで弧を描いて大きくしなっている竹を、一本一本ゆさぶって雪を落としてやったことである。誰に頼まれたのでもない。竹はうれしそうに雪をビューンと跳ね返して高く伸びあがる。散り落ちてくる雪をあびながら、そんな作業がおもしろくもうれしかった。雪がたくさん降った後そんな作業をしに、よく裏山の竹林へ出かけた思い出が懐かしい。フリードマンはアメリカの女性外交官で、駐日アメリカ大使館勤務時代、俳句に興味を抱いて黒田杏子に師事し、句会にも参加したという。俳句を学んでいて、「子どものころ未来について夢見たのと同じ畏れと神秘さを味わった」と記している。掲句は彼女の俳句体験記『私の俳句修行』(中野利子訳/2010)巻末の「アビゲール不二句集」に収められている。他に「雪が舞ふ刻(とき)の流れをおしとどめ」などがある。俳句訳=中野利子・黒田杏子。(八木忠栄)




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