国分寺名産「大江戸櫻」というウドをいただいた。春遠からじ。(哲




2011ソスN1ソスソス25ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 2512011

 木星の色を転がし毛糸編む

                           山田真砂年

星といえば赤道方向に伸びるカラフルな縞模様が特徴である。その色かたちはまさにグラデーションのかかった毛糸玉のように見え、掲句の通りと共感する。俳句による「見立て」のむずかしさは、共感を得つつ、平凡ではなく、なおかつ突飛すぎない、という頃合いにある。掲句には生活のなかに存在するささやかな毛糸玉が、みるみる太陽系のなかでもっとも大きな惑星へと大胆に変貌する切り替えの面白さに無理がなく、羨望のクリーンヒットとなっている。そして、このたび何種類もの木星の画像を見たのだが、色彩がタイミングによって赤い大理石のようだったり、青白く映っていたりとまるで折々の気分次第で色が違っているように千差があった。また木星は太陽系のなかでもっとも自転の早い惑星でもあるという。壮大な奥行きとともにテンポのよいホルストの組曲『惑星』の「木星」をBGMに、くるくる回転する木星に今にも飛びかかろうとしている猫の姿など、楽しい空想が抑えようもなくふくらんでしまうのだった。「湯島句会」(2010・第36回)所載。(土肥あき子)


January 2412011

 白き息賑やかに通夜の線路越す

                           岡本 眸

夜からの帰途だろう。寒い夜。数人で連れ立って、おしゃべりしながら見知らぬ町の踏切を越えている。故人への追悼の思いとはべつに、通夜では久しぶりに会う顔も多いので、故人をいわばダシにしながら旧交を温めるという側面もある。では、そのへんで一杯と、作者も含めてちょっぴりはしゃぎ気味の連中の様子がよく捉えられている。小津安二郎の映画にでも出てきそうな光景だが、小津の場合にはこのようなカットは省略して、いきなり酒場などのシーンになるのが常道だった。どちらが良いかは故人と通夜の客との関係にもよるので、一概にどちらとは言えない。が、掲句の「賑やかに」歩いている姿のほうが、私などには好ましく共感できる面がある。なぜなら、この賑やかさによる見かけの陽気さは、かえって人間存在の淋しさを暗に示しているからだ。生き残った者たちが束の間はしゃいでいるだけで、やがてはみな故人と同じ運命をたどることになるのだからである。だから、彼らのはしゃぎぶりは、決して不謹慎ではない。故人の死によって、あらためて生きていることの楽しさを自覚した人たちの至極真っ当なふるまいである。そのへんの機微を、実に的確に表現し得た佳句だと思う。『矢文』(1990)所収。(清水哲男)


January 2312011

 冬の雨硝子戸越しに音を見る

                           小林紀彦

が覚めて、朝の新しい雨の音を布団の中で聞いているのが、好きです。勤めのない土曜日の朝であれば、なおさらよく、ああ降っているなと思って、外の濡れた姿をしばらく想像して、それから再び眠りに落ちてゆきます。関東地方に長年住んでいると、しかし冬はひたすら晴天ばかりです。長い冬のあいだを、積雪に苦労をしている地域の人々からみれば、なんと贅沢なことかといわれるかもしれません。今日の句の工夫は、「音を見る」としたところ。特段すごい表現だとは思いませんが、それでもそう言いたくなる気持ちはよくわかります。目に見える姿と、かすかに聞こえる音がぴたりとあわさって、雨をぜんたいで受け止めようとしているようです。ちょっとひねっただけで、句はこれほどに生き生きとしてくるものかと、あらためて句の音を、みつめます。「朝日俳壇」(「朝日新聞」2011年1月23日付)所載。(松下育男)




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