小正月、女正月。子供のころの田舎ではまだこの風習があった。(哲




2011ソスN1ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1512011

 折鶴のふつくらと松過ぎにけり

                           峯尾文世

が家では正月七日に松飾りをはずすが、所によってさまざまらしく、ひとくくりに関東と関西で異なるとも言えないようだ。ともあれ、松がとれれば松過ぎ、普段通りの生活に戻るが、年が改まったという新しい心地がしばらく残っている。今年の東京は、寒の入りからぐっと冷えこんで来てこれからが寒さも本番だなと思いながら、この句を読んで久しぶりに鶴を折ってみた。直線で形作られた折鶴に最後に息を吹きこむと背中がふくらんで、その独特の姿が完成する。テーブルにそっとのせると、午後の日差しが折鶴にうすい影を作っている。確かに寒いけれど、小正月が過ぎれば立春まで三週間を切るのだとふと思う。冬至の頃、これからは昼が長くなる一方と少しうれしくなるように、松過ぎには待春の心が芽生えるものなのだなと、折鶴の背中のやわらかな曲線を見つつあらためて感じた。上智句会句集「すはゑ(木偏に若)」(2010年8号)所載。(今井肖子)


January 1412011

 励まされゐて火鉢の両掌脂ぎる

                           櫻井博道

邨先生居という前書あり。博道(はくどう)さんは宿痾となった結核との永い闘病生活の果てに平成三年六十歳で逝去。痩身でいつもにこにこと優しい人柄であった。作風もまた人柄に同じ。師加藤楸邨はことのほかその作品と人柄を愛した。句集『海上』にはあたたかい師の跋文がある。楸邨は後年は弟子の句集に序文や跋文は書かない主義を通したので、おそらくこれが最後の跋文ではなかったかと思う。晩年楸邨居の座談会に僕も同席したが、楸邨は博道さんの足の運びにも気を遣っていた。この句も楸邨が博道さんを励ましているのである。脂ぎるという言葉は健康な人間にとっては決して清潔な語感ではないが、宿痾を抱える作者は体全体から噴き出す気持ちの高揚というほどの積極的な意味で用いている。博道さんのあの研ぎ澄まされたような痩身を思いだすとこの脂ぎるがなんとも切なく胸に迫ってくる。『海上』(1973)所収。(今井 聖)


January 1312011

 一月の魯迅の墓に花一つ

                           武馬久仁裕

者が中国へ旅したときに作った句。国内での吟行とは違い海外で句を詠むとなると日本での季節の順行や季の約束ごととは違う世界へ出てゆくことになる。作者は「俳句と短文の織り成す言葉による空間を満足の行く形で作ってみたくなったからである」とこの句集を編むに至った動機をあとがきで述べている。風習の違いや物珍しさで句を詠んでも単なるスナップショットで終わってしまう。(もちろんそれはそれで楽しさはあるのだが)作者は現在の中国を旅して得た経験と歴史や文学で認識していた中国を重ねつつ「日常であって日常でない」世界を描き出そうとしている。一月、と一つという簡潔な数字の図柄が世間の人々に忘れられたかのような寂しい墓の風情を思わせる。その墓の在り方は「藤野先生」や「故郷」といった魯迅の作品に流れる哀感に相通じているように思える。真冬の魯迅の墓に添えられた花の種類は何だったのだろう。「玉門関月は俄に欠けて出る」「壜の蓋締めて遠くの町へ行く」『玉門関』(2010)所収。(三宅やよい)




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