謹賀新年。この夏に増俳15周年の集いを開きます。詳細は後日。(哲




2011ソスN1ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 0112011

 新年や人に疲れて人恋ふる

                           梧 六和

けましておめでとうございます。お正月の句を、と思いながら探すうち出会ったこの句の作者は、集まった親戚やひっきりなしに訪れる賀客に疲れているのか、初詣に行った神社か初売りの人混みに疲れているのか。いずれにせよ、年が改まったら一番に会いたい人には会えずにいるのだ。それは友人か、家族か、それとももっと特別な人か。一人で居る時しみじみ思うよりも、たくさんの人に囲まれながら、今傍にいないその人を思う瞬間の方がより強く自分の思いを感じるものだろう。恋われているその人も、同じようにふと作者を思っているのかもしれない、などとあれこれ思いをめぐらせながら読んだ。『図説 俳句大歳時記 新年』(1965・角川書店)所載。(今井肖子)


December 31122010

 白鳥の来る沼ひとつ那須野にも

                           黒田杏子

者は1944年に戦火を逃れて東京から栃木に疎開。以後高校卒業までを当地で過ごす。那須野という地名に格別の個人的な思いがあることがわかる。シベリアから飛来して冬を越す白鳥への思いが幼年期から少女期までの「故郷」に寄せる郷愁と重なる。個人的な思いに根ざした言葉はどうしてこんなに強靭なのか。言霊のはたらきとでもいうべき。『日光月光』(2010)所収。(今井 聖)


December 30122010

 明日より新年山頭火はゐるか

                           宮本佳世乃

年も余すところ一日となった。明日は朝から掃除、午後はおせち料理に頭を悩ませ、夜は近所の神社へ初詣に出かけることにしよう。平凡だけど毎年変わらぬやり方で年を迎えられるのを幸せに思う。それにしてもこの句「明日より新年」というフレーズに「山頭火はゐるか」と不思議な問いかけが続く。山頭火は放浪の人だからせわしない大晦日も、一人酒を飲んで過ごしていたかもしれない。だとすると家族と過ごす大晦日や正月に縁のない孤独な心が山頭火を探しているのだろうか。そんな寂しさと同時に「さて、どちらへ行かう風がふく」と常にここではない場所をさすらっていた山頭火のあてどない自由が「明日より新年」という不安を含んだ明るさに似つかわしく思える。『きざし』(2010)所収。(三宅やよい)




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