今年のご愛読に感謝。来る年が、より良い年でありますように。(哲




2010ソスN12ソスソス31ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 31122010

 白鳥の来る沼ひとつ那須野にも

                           黒田杏子

者は1944年に戦火を逃れて東京から栃木に疎開。以後高校卒業までを当地で過ごす。那須野という地名に格別の個人的な思いがあることがわかる。シベリアから飛来して冬を越す白鳥への思いが幼年期から少女期までの「故郷」に寄せる郷愁と重なる。個人的な思いに根ざした言葉はどうしてこんなに強靭なのか。言霊のはたらきとでもいうべき。『日光月光』(2010)所収。(今井 聖)


December 30122010

 明日より新年山頭火はゐるか

                           宮本佳世乃

年も余すところ一日となった。明日は朝から掃除、午後はおせち料理に頭を悩ませ、夜は近所の神社へ初詣に出かけることにしよう。平凡だけど毎年変わらぬやり方で年を迎えられるのを幸せに思う。それにしてもこの句「明日より新年」というフレーズに「山頭火はゐるか」と不思議な問いかけが続く。山頭火は放浪の人だからせわしない大晦日も、一人酒を飲んで過ごしていたかもしれない。だとすると家族と過ごす大晦日や正月に縁のない孤独な心が山頭火を探しているのだろうか。そんな寂しさと同時に「さて、どちらへ行かう風がふく」と常にここではない場所をさすらっていた山頭火のあてどない自由が「明日より新年」という不安を含んだ明るさに似つかわしく思える。『きざし』(2010)所収。(三宅やよい)


December 29122010

 師走市値ばかり聞いて歩きけり

                           川口松太郎

の買物はもう済んだと思っても、年が押し詰まるまであれこれと必要なものに気がついたりして慌てることがある。値下がりする大晦日ぎりぎりまであえて待って買う、という買物上手な人もいらっしゃるだろう。だから大晦日の市は捨て値で売られるところから「捨て市」とも呼ばれる。また「師走市」は「歳の市(年の市)」とも呼ばれる。商人にとっては今年最後の予算を達成して正月を迎えよう、という目標があるわけだし、買うほうにしてみれば、似たような年末年始の品を少しでも安く買いたいと、あれこれ目移りしながら店をめぐる。掲句にはそうした気持ちの焦りというよりは、自嘲めいた余裕さえ感じられるではないか。寒気のなかで買い気をあおる懸命の売り声と、ためらいがちながらも真剣にお店を覗いて歩く人々。その雑踏のざわざわとした活況が見えてくるようだ。「値ばかり聞いて」歩いているのは、案外男性かもしれない。私も経験があるけれど、ふだんはあまり買物をしないから、値段というものの相場がよくわからない。つい高いものを買ってしまって家人に文句を言われるという経験は、どちらさまにもありそうだ。まあ、忙しない師走になぜかホッとする俳句である。松太郎には「湯のたぎる音きいてゐる雪夜かな」がある。一茶には「年の市何しに出たと人のいふ」があり、いかにも歳末の風情。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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