新聞と同じように、放送も年末年始のどこかで全休日を作るべき。(哲




2010ソスN12ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 30122010

 明日より新年山頭火はゐるか

                           宮本佳世乃

年も余すところ一日となった。明日は朝から掃除、午後はおせち料理に頭を悩ませ、夜は近所の神社へ初詣に出かけることにしよう。平凡だけど毎年変わらぬやり方で年を迎えられるのを幸せに思う。それにしてもこの句「明日より新年」というフレーズに「山頭火はゐるか」と不思議な問いかけが続く。山頭火は放浪の人だからせわしない大晦日も、一人酒を飲んで過ごしていたかもしれない。だとすると家族と過ごす大晦日や正月に縁のない孤独な心が山頭火を探しているのだろうか。そんな寂しさと同時に「さて、どちらへ行かう風がふく」と常にここではない場所をさすらっていた山頭火のあてどない自由が「明日より新年」という不安を含んだ明るさに似つかわしく思える。『きざし』(2010)所収。(三宅やよい)


December 29122010

 師走市値ばかり聞いて歩きけり

                           川口松太郎

の買物はもう済んだと思っても、年が押し詰まるまであれこれと必要なものに気がついたりして慌てることがある。値下がりする大晦日ぎりぎりまであえて待って買う、という買物上手な人もいらっしゃるだろう。だから大晦日の市は捨て値で売られるところから「捨て市」とも呼ばれる。また「師走市」は「歳の市(年の市)」とも呼ばれる。商人にとっては今年最後の予算を達成して正月を迎えよう、という目標があるわけだし、買うほうにしてみれば、似たような年末年始の品を少しでも安く買いたいと、あれこれ目移りしながら店をめぐる。掲句にはそうした気持ちの焦りというよりは、自嘲めいた余裕さえ感じられるではないか。寒気のなかで買い気をあおる懸命の売り声と、ためらいがちながらも真剣にお店を覗いて歩く人々。その雑踏のざわざわとした活況が見えてくるようだ。「値ばかり聞いて」歩いているのは、案外男性かもしれない。私も経験があるけれど、ふだんはあまり買物をしないから、値段というものの相場がよくわからない。つい高いものを買ってしまって家人に文句を言われるという経験は、どちらさまにもありそうだ。まあ、忙しない師走になぜかホッとする俳句である。松太郎には「湯のたぎる音きいてゐる雪夜かな」がある。一茶には「年の市何しに出たと人のいふ」があり、いかにも歳末の風情。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


December 28122010

 数へ日のどこに床屋を入れようか

                           仁平 勝

え日が12月の何日からかとはっきり表記されている歳時記はないが、どれともなく指折り数えられるほどになった頃という言い回しを使っている。実際には、クリスマスが終わり、焦点が年明けに絞られた26日からの数日に強く感じられる。唱歌の「もういくつ寝ると…」には、子どもらしく新しい年を楽しみに指折り数える様子が歌われているが、こちらは切羽詰まった大人の焦燥感を表す言葉である。正月をさっぱりして迎えようというのは、家の片付けなどとともに姿かたちにもいえること。とはいえ、慌ただしく迫り来る年末に、自分の身を振り返ることはどんどん後回しになっていく。大晦日の湯に浸かりながら「あっ爪を切ってなかった」などと最後の最後になって小さな後悔が生まれたりもする。掲句は、歳末のスケジュールがぎっしりと書き込まれた手帳を前に頭を抱える作者である。晴れの日を迎えるためには、この散髪の二文字をどうにか入れなければならないのだ。〈冬木みなつまらなさうにしてをりぬ〉〈買初のどれも小さきものばかり〉『黄金の街』(2010)所収。(土肥あき子)




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