来週はじめに母が退院できそうだ。寒いから風邪には注意だな。(哲




2010ソスN12ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 06122010

 老人のかたちになつて水洟かむ

                           八田木枯

者八十代の句。身に沁みるなあ。若い読者からすれば「それがどうしたの」くらいの感想しか浮かばないかもしれない。しかし、老いを自覚した人間にとっては、はっとさせられるような句なのだ。水洟(みずばな)をかんでいるのは、他人ではなく作者当人である。背を丸くして、さほどの勢いもないかみ方である。誰でもそうだろうが、こういう「老人のかたち」はなかなか自覚しにくいものなのだ。周囲の目からはともかく、自分の老いを認めたくない意識も働くので、当人は自分がいかにも老人らしくふるまっていることにはなかなか気づかない。けれども何かの動作の折に、おやっという感じで気づくときが来る。「オレもトシだなあ」と「かたち」として自覚させられる。いったんそういうことに気がつくと、あとはいわば芋づる式に「そういえば…」と、生活のさまざまな場面での老いの「かたち」に気がついていくことになる。最初のうちこそなにがしかの悲哀感も伴うけれど、だんだんその「かたち」を受容し容認し、是認していく。このときに自分はまったき老人になったわけで、若い頃とは異なる所作にもどこか苦笑いのような感情とともに対応できていく。掲句は、そうした老いの機微を捉えたものだ。だから、最近の私などにはことさらに身に沁みるのである。『鏡騒』(2010)所収。(清水哲男)


December 05122010

 我が寝たを首あげて見る寒さかな

                           小西来山

め人には朝おきるのがつらい季節になりました。眠さだけではなく、布団の外の寒さに身をさらすのが、なんとも億劫になるのです。特に月曜の朝に目覚ましが鳴ったときなど、いつもより30分早く会社に行けば仕事がはかどるだろうというつもりでセットした針を、自分で30分遅らせてまた眠ってしまいます。今日の句、眠った自分を、別の自分が外側から見ているという意味でしょうか。どうもそうではないような気がします。ただ首をもちあげて、横になった自分の体が布団の中にきちんとおさまっているかを確認しているだけのようです。「首あげて」の姿が具体的に思い浮かべられて、なんともおかしい句になっています。「我が寝たを」という言い方も、ちょっと無理があるかなという感じがしないでもありませんが、それも句の面白さの中では許されているようです。首をあげて確認したあとは、ありがたくも贅沢な眠りが、布団の中で待っていてくれます。『角川俳句大歳時記 冬』(2006・角川書店)所載。(松下育男)


December 04122010

 羽ばたきの一つありたる鴨の水

                           石井那由太

を埋めて丸くなったまま漂っている浮寝鳥、まこと気持ちよさそうでどんな夢を見ているのかと思うが、脚は常に動いており熟睡することはないらしい。それでも冬あたたかな池の辺で日向ぼっこしつつぼんやりしていると、鴨ものんびりしているように見える。そんな時、突然水音がしてそこに日差しが集まり一羽が羽ばたく。そしてきらきらとした音と光は一瞬で消え、そこは静かな鴨の池にもどるのだが、この句の下五が、鴨の池、だったら、一気に邪魔なものがいろいろ見えてきてどうってことのない報告になってしまう。鴨の水、という焦点の絞り方が、観たままでありながら一歩踏み込んで読み手をとらえるのだろう。『雀声』(2010)所収。(今井肖子)




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