「ウィキリークス」は権力の極小強大化を招く。諸刃の剣だな。(哲




2010N123句(前日までの二句を含む)

December 03122010

 風の彼方直視十里の寒暮あり

                           飯田龍太

は飯田龍太を花鳥諷詠の俳人だと思ったことがない。守旧派とか伝統派という範疇で考えたこともない。なぜだろうと思う。龍太は蛇笏の子で弟子で、蛇笏は虚子の高弟であったわけだから「ホトトギス」の主唱したところに直結していることに疑いはない。それなのにと思う。その理由を考えてみたらひとつの結論らしきものが浮んだ。龍太作品から僕は強く「個」を感じるせいだ。例えば龍太は自然を詠み風土を詠んだがそれは俳句が花鳥風月を詠むものだという理念に沿って詠んだわけではないように見える。龍太が仮に都会暮しをしていたら都市を詠んだだろうと僕は思う。仮の話は乱暴かもしれないが。龍太は山川草木を詠んだのではなく「日常」を詠んだのだ。それから文体が柔軟な点。龍太作品にはさまざまのオリジナルな文体が見られる。この句も上句は字余り。花鳥諷詠的情緒への信奉ではなく鯛焼きの鋳型のような音律重視のパターンでもなくて、まず「私」を凝視するという態度。それは「俳句は無名がいい」という龍太の発言とは矛盾しない。無名であらんとする「意思」こそが龍太の「私」を強調するからだ。『春の道』(1971)所収。(今井 聖)


December 02122010

 わが家の二階に上る冬の旅

                           高橋 龍

ばしば雨戸で閉ざされた二階を見かけることがある。夜になると一部屋に灯りがともるので誰かが暮らしていることはわかるが、家族が減り二階へ上がることもなくなっているのだろう。掲句はシューベルトの歌曲『冬の旅』が踏まえられているように思う。『冬の旅』は失意の青年がさすらう孤独な旅がテーマだが、その響きには灰色に塗り込められた暗いイメージが漂う。遠くへ行かなくとも我が家の二階に上るのに寒々とした旅を感じるのは、そこが日々の暮らしからは遠い場所になっているからではないか。小さい頃人気のない二階にあがるのは昼でも怖かったけれど、家族がいれば平気だった。そう思えば誰も住まない二階では障子や机も人の生気に触れられることなく冬枯れてしまうのかもしれない。『異論』(2010)所収。(三宅やよい)


December 01122010

 凩や何処ガラスの割るる音

                           梶井基次郎

内を吹き抜けて行く凩が、家々の窓ガラスを容赦なくガタピシと揺らす。その時代のガラスは粗製でーーというか、庶民の家で使われていたガラスは、それほど上等ではなかっただろうし、窓の開け閉めの具合もあまりしっかりしていなかったから、強風に揺さぶられたら割れやすかったにちがいない。聞こえてくるガラスの割れる音が「何処(いづこ)」という一言によって、情景の広がりを生み出していて一段と寒々しい。目の前ではなく、どこぞでガラスの割れる音だけ聞こえてハッとさせられたのだ。同じ凩でも、芥川龍之介の「凩や東京の日のありどころ」とはまたちがった趣きをもつパースペクティブを感じさせる。三好達治がこんなエピソードを残している。あるとき基次郎に呼ばれて部屋へ行ったら、「美しいだろう」と言ってコップに入った赤葡萄酒をかかげて見せられた。なるほど美しかった。しかし後刻、それは今しがた基次郎が吐いたばかりの喀血だったとわかったという。「ガラスの割るる音」にも、基次郎の病的世界を読みとることができる。他に「梅咲きぬ温泉(いでゆ)は爪の伸び易き」がある。この句も繊細で基次郎らしい着眼である。三十一歳の若さで亡くなったゆえ、残された小説は代表作「檸檬」など二十編ほどで、俳句も多くはない。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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